2009.08.25  ならまち散歩

奈良町(ならまち)
現在世界遺産に登録されている元興寺境内に 筆・墨・蚊帳・晒・布団・刀剣・酒造・醤油醸造など
様々な問屋・製造業が起こり発展し 江戸期を代表する商工業都市として町が形成された
第二次世界大戦の空襲を免れ 戦後は奈良市旧市街地として栄えた
1990年4月 奈良市より奈良市都市景観条例に基づく 「奈良町都市景観形成地区」の指定を受け現在に至る
なお「奈良町」という行政地名はなく地区の通称である
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舟地蔵と嶋嘉橋
猿沢の池南西角に位置し 率川(いさがわ)に架かる石橋 率川は大半が暗渠となり猿沢の池南に
僅かにその流れを見ることが出来る 平城京上ツ道 後の伊勢街道起点にあり
架橋は明和七年(1770)庚寅年五月吉日とある 橋より西に位置する椿井町嶋屋嘉兵衛が私財を投じて架設し
 嶋屋嘉兵衛の名を取り「嶋嘉橋」と名付けられた
上流川中に船のような中州が築かれているのは 橋脚に当たる水圧を下げる目的で水流を分流するために設けた
明治の廃仏毀釈で川に捨てられた石像を中州に集め船に乗る地蔵として祀った 以来信仰を集め現在に至る
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嶋嘉橋
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率川(いさがわ)舟地蔵
明和七年庚寅年五月吉日 椿井町施主嶋屋嘉兵衛
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二月堂坂
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奈良公園
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飛火野 和銅5年(712)烽火台が置かれ万葉集にも「飛ぶ火」と読まれる
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飛火野鷺池浮見堂
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天平時代の767年に春日大社が創建され 主祭神の建御雷命(たけみかづちのみこと)が鹿島神宮から遷る際
白鹿に乗ってきたとされ 野生の鹿が神鹿(しんろく)と尊ばれ 以来春日社や興福寺から保護された
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元興寺
南都七大寺の一つ 奈良時代には東大寺・興福寺と並ぶ大寺院で 法相宗の道場として栄え東大寺や興福寺と並ぶ
大伽藍を誇っていた 中世以降次第に衰退し現代では元興寺と名乗る寺院は 中院町の真言律宗元興寺極楽坊次と
芝新屋町の華厳宗元興寺に分かれている 前者は西大寺の末寺 後者は東大寺の末寺である
別に元興寺起源の寺として西新屋町に真言律宗の小塔院があるが 現在は江戸時代に建立された虚空蔵堂のみ建つ
中院町の元興寺内に かつて「国宝の五重小塔」を安置する堂が在ったことから
昭和40年(1965)国指定の史跡「元興寺小塔院跡」に指定されている
これら寺院のいずれも 蘇我馬子が6世紀末の飛鳥時代に建立した日本最古の本格的寺院である法興寺が
起源とされる 法興寺は和銅3年(710)平城京遷都に伴い 養老2年(718)に飛鳥から新都へ遷され
元興寺となるが 法興寺も廃寺とされず元の明日香に残り今日の飛鳥寺となった
寺域は南北4町(約440m)東西2町(約220m)と南北に細長く 猿沢の池南の現在奈良町と称される地区の
大部分が境内であった 旅館猿沢荘のある池之町が北東端 鳴川町安養寺あたりが南西端にほぼ一致する
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<上>ならまち 芝新屋町
   左は元興寺塔跡

<右>ならまち格子の家
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江戸時代末から明治時代にかけて「ならまち」に点在した町家をモデルに新しく建てられた施設
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ならまち格子の家 二階 板の間
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ならまち格子の家 手水鉢
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砂糖傳
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庚申堂
創業明治八年の二塚染物工芸
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東六坊大路の二塚染物工芸
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奈良町資料館の身代わり猿
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