2019.08.12 鳥取県 奥大山周辺の旅

全国有数の暑さから逃げ出すように大山を訪れてみたが たかが西日本 それも鳥取ではやはり暑い
ということが身にしみて解っただけの 汗だくの旅になってしまった
8/11 日田 08:00−下関−美祢−萩−益田−浜田−大田−道の駅・湯の川 19:00 道の駅で車中泊
走行距離 約400km 入浴はひかわ美人の湯 PLANT斐川店で買い物
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1.桝水高原 2.三ノ沢 3.鍵掛峠展望所 4.木谷沢渓流 5.烏ヶ山展望所
6.地蔵峠展望台 7.大山滝 8.鬼女台展望所 9.休暇村奥大山
8/12 湯の川−あらエッサ−大山桝水高原 08:00−木谷沢渓流−大山滝−休暇村奥大山(入浴)−鬼女台
道の駅・風の家で車中泊 ここは涼しかった
桝水高原
桝水高原は 国立公園大山の西側正面中腹にあり標高700から900mの緩斜面に広がる大草原
冬季にはスキー場が開かれ スキー場のリフトは無雪期間「天空リフト」として運行される
道の駅「あらエッサ」から米子南ICを経由して25km 30分ほどの道程である
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中海と弧を描く弓ヶ浜・美保湾
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すでにススキの穂が出始めた晩夏の高原
三ノ沢
大山環状道路の西側から順番に一ノ沢・二ノ沢・三ノ沢と続くが この三ノ沢が一番眺めが良い
手前の文殊堂のある広場が駐車場として開放されている
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左から 1709.4mの弥山 1729mの剣ヶ峰 1692mの槍ヶ峰
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剣ヶ峰
鳥取県江府町大河原 標高910m 鍵掛峠(かぎかけとうげ)
名前の由来は 大山寺の牛馬市へ出掛ける博労たちが Y字形をした小枝を折って道端の霊樹に投げかけ
霊樹の枝に引っ掛かかるかどうかで吉凶を占う「神懸(かみかけ・かんかけ)」が転訛したものと伝わる
他に地形の崖(=掛)を由来とする刈掛の転訛や狭崖(かいがけ)の転訛説が存在する
因みに 福岡県久留米市にも急峻な「かんかけ峠」があり 同様の由来が考えられる
平安時代の大山寺が 牛馬安全祈願の札を配布し 大山中腹の原野で牛馬の放牧も奨励したことから
大山寺の「牛馬信仰」が広まり 農民や馬子・博労達が牛馬に供物や旅荷を載せともに参詣したと伝わる
鎌倉時代には 大山寺の門前で牛馬交換や品評会らしきものが始まり やがて牛馬市へと発展した
江戸時代中期の享保11年(1726)に 大山寺による大規模な牛馬市である「大山博労座」が春祭に
開催されるようになり その後は 備後・杭の牛市 豊後・浜の牛馬市とともに日本三大牛馬市へと発展した
明治以降は 大山寺が牛馬市の経営から離れたが 明治17年(1884)には牛馬の取引数は12000頭にのぼり
国内最大の牛馬市にまで発展した 昭和に入って山陰本線の開通など鉄路の発達などが影響して
昭和12年(1937) 210年にもおよぶ「大山博労座」の歴史に幕を降ろした
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標高910mの鍵掛峠は 大山南壁を眺める一番の絶景ポイント 手前はブナの原始林
鳥取県江府町御机 標高758m 木谷沢渓谷
日野川の支流・船谷川の奥大山源流域にある渓流
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奥大山スキー場前の駐車場
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ブナの原生林から流れ出す渓流
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貯水槽に映る大樹
鳥取県江府町御机 標高873m 烏ヶ山展望所
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標高1448mの烏ヶ山(からすがせん)
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大山環状道路 県道45号倉吉江府溝口線
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烏ヶ山山頂部
標高571m 地蔵峠展望台
鳥取県琴浦町中津原と倉吉市関金町野添の境にある大山展望所
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大山東斜面
鳥取県琴浦町中津原 標高600m 大山滝
大山・天狗ヶ峰と振子山間の沢を源流とする加勢蛇川(かせいちがわ)上流の地獄谷にある滝
2段の滝で 落差は上段が28m 下段が14mである かつては3段滝であったが
昭和9年(1934)の室戸台風による洪水で2段となった
車の乗り入れは一向平(いっこうがなる)キャンプ場まで キャンプ場から大山滝まで約2kmの距離があり
遊歩道を30分以上歩くこととなるが 往路は下り復路は上りとなる 遊歩道脇に滝見台がある
滝見台から100m下にある滝壺までは 足元の悪い急斜面でロープ・鎖を伝って降りる必要がある
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滝見台からの全景 落差42m
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大山滝の往復で汗だくとなったので 休暇村奥大山で入浴後蒜山に向かう
鬼女台(きめんだい)
鳥取県江府町と岡山県真庭市の県境 標高869.6mにある蒜山大山スカイラインの展望休憩所
鬼女台の名は 昭和37年(1962)岡山国体の登山競技コースを下見した登山家蒜天(ひるてん)こと
徳山銕也氏が上蒜山から西側を見下ろし 連続する二つの小高い丘を女性の乳房に見立て
それも 人をひきつける妖艶な雰囲気から「鬼女」に違いないという想像からこの名が生まれた
広大な笠良原(かさらはら)と標高1056mの長い城山に続く烏ヶ山 背景に秀峰大山が見える展望所
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大山南壁と烏ヶ山
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笠良原の南部には サントリー奥大山ブナの森工場がある
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これから向かう蒜山高原を俯瞰する 今日は道の駅・風の家で車中泊
道の駅の標高は485mなので 少しは涼を得ることが出来た 明日は九州に向かっての復路となる
岡山県真庭市藤森 標高605m 鳥居ヶ乢(とりいがたわ)の大山神門
昔 大山を中心に東西南北に鳥居が置かれた この鳥居ヶ乢には今も大山神門が残されている
この大山道は備前岡山方面から大山に至る道で 大山が女人禁制であったため
女性や登山が出来ない子供・老人などはここから遥かに望む大山を遥拝した
文政4年(1821)に石門が再建されたが その後再び転倒し埋没していたものを
道路拡張工事に際して掘り起こし現在の地に復元した
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午前6時50分
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現在の大山みち 今はこの峠の下にトンネルが掘られ米子自動車道が貫通する
岡山県真庭市蒜山西茅部 郷原宿 茅部神社
社伝では 江戸時代の延宝5年(1677)12月に備州奥津の大工・高村仁左衛門が建立したと伝わる
十二社権現・岩倉宮・岩倉十二社権現などと称されたが 幕末の文久元年(1861)天磐座大神宮に改称
明治42年(1909)茅部の氏神3社を合祀し茅部神社とし今日に至る
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AM 7:05 茅部神社の大鳥居
石造鳥居では日本一の大きさを誇る 文久3年(1863)建造
安政7年(1860)正月、茅部神社の氏子石賀理左文、友金宇平は、近江の多賀大社に参拝した時、同神社の
石鳥居が日本一だと聞き、これより大きいものを地元に造り日本一にしようと考え、実測して帰つた。
三年後の文久3年(1863)にその願いを果たしたという。石材は茅部神社のある岩倉山の花崗岩である。
石工は、伯老国倉吉(現倉吉市)の横山直三郎、郷原在住の米倉鉄造の二人が腕をふるつたようである。
二本の柱と笠木・島木・貫・額束で組み立てた明神型鳥居で、柱は地中に基礎をつくって下部を深く埋め
地上の長さ約11.45m、直径約1.20m、下部約3mを別石で十二角に仕上げ、その上に円柱を継ぎ接合点は
鉄の鎹でとめてある。地上から笠木の上端までの全高約13.8mであったが、
何度かの補修で下部を埋め立てたため、現在の大きさは次のようになっている。
高さ:10.65m(過去最高13.8m) 幅:14.20m 貫下:7.20m 柱直径:1.02m
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右柱に明治十九年八月の修理日付 左柱に文久三年亥十一月の建立日が刻まれている
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約800m続く参道の桜並木
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茅部神社から見る蒜山三座 上蒜山・中蒜山・下蒜山
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駐車場の高殿
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高殿から見る風景
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神門
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神門と参道桜並木
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拝殿
昭和30年(1955)3月 雪による山崩れが起き山腹にあった社が祭祀不可能となり
社殿を解体移設して 翌昭和31年11月に麓である当地に復元建立した
背後の岩倉山に「天の岩戸」がある
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神殿には旧社「天磐座大神宮(あまのいわくらだいじんぐう)」の扁額が飾られている
主祭神:天照大御神  配神:御年神ほか21柱
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拝殿左右に 明治の合祀で移されたのか 稲荷社でもないのに狛狐
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境内摂社 足王神社
祭神 足名槌命(アシナヅチ)手名槌命(テナヅチ)天児屋命(アメコヤネ)倉稲魂命(ウカノミタマ)
足名槌・手名槌はヤマタノオロチ退治神話の説話に登場する夫婦神で 須佐之男に助力した神
天児屋は春日大社の主祭神 倉稲魂は伏見稲荷の主祭神である
足王神社は 手と足の守護神として山陰地方で崇敬が厚く 春秋の祭日には村外から多数の参拝者が訪れる
足王神社の左手に旧社殿への参道石段が残っている
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AM 7:33 標高540m 西茅部の道路から見る大山
県道58号北房川上線に入り野土路乢を潜るトンネルを抜け新庄村へ 高尾から国道180号線で明智峠へ
真庭市蒜山本茅部 標高630mから見るパノラマ
標高1009.9mの三平山から大山・烏ヶ山・象山・皆ヶ山・アゼチ・上蒜山
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国道180号線 明智峠展望所
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AM 8:25 大山南壁遠望
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