2018.04.27 広島県府中市 府中と出口町の散歩

広島県府中市は 古代の備後国芦田郡にあり山陽道の要衝で国府が置かれたことでその名が付いたとされる
飛鳥時代の持統天皇3年(689)吉備国が備前・備中・備後の三国に分けられ 和銅6年(713)には備前国から
美作国が分立させられ結果的に四国に分断された 続く奈良時代には備後国府が当地に置かれたとされる
平安時代に入ると 荘園制とあいまって藤原氏などの有力貴族による政治が始まると律令制が次第に形骸化され
武家政治が始まる鎌倉時代には 朝廷による律令制の衰退が決定的となり制度としての国府は消滅した
室町時代には 条里も建造物も全て消滅したと考えられるが 現在の道路や区画にその面影を見いだせる
鎌倉時代には守護所が置かれ 国府の背後にある八ツ尾山に城が築かれ守護山名氏の拠点となったと伝わる
この中世期に 山陽道が後の西国街道のように 神辺から尾道へ向かうようになったと考えられるが
以降も府中は 芦田川を使った船運などの集積地として繁栄を維持し村や町として発展したため
当時の遺跡を発掘することが困難で現在も政庁である国衙遺跡の発見には至っていない
戦国時代には毛利氏の領地となり 慶長5年(1600)の関ヶ原後は広島城に入った福島正則の領地となった
元和5年(1619)に福島正則が改易となって領地は分割され 徳川家康の従兄弟・水野勝成が10万石で入封し
福山藩が立藩されその領地に入った 後明治まで 天領時代を含め西の外様大名への牽制として
徳川譜代の大名が福山藩を治めた
江戸時代初期に整備された西国街道も中世期に拓かれた山陽道と同じ 神辺宿からは府中を通らず
今津・尾道の海浜ルートを経て三原・本郷へと通じていた 同じく江戸幕府は既に整備が終わっていた
石見銀山・代官所のある大森から尾道へ至る街道の甲奴郡宇賀村から分岐し 天領であった上下から府中を経て
西国街道の神辺宿から 湊のある天領笠岡まで下る銀山街道を整備した
これにより府中は再び交通の要衝他なり発展した
明治4年(1871)廃藩置県により福山県に入る その後 深津県に変更され倉敷県と統合し小田県となった
明治8年(1875)岡山県に編入され翌年には広島県に移管 明治11年(1878)行政区としての芦田郡が発足し
安那芦田品治郡役所が府中市村に設置された 明治29年(1896)行政区として芦田郡府中町が成立
明治31年(1898)芦田・品治(ほんじ)の両郡が統合され芦品郡が成立 府中には芦品郡役所が設置された
大正14年(1925)出口町と合併し 新制の府中町となる
昭和29年(1954)岩谷・栗生・国府・下川辺・広谷の5村と合併し府中市となる
その後 芦品郡河佐村・御調郡諸田村の小国諸毛地区・御調町三郎丸及び芦品郡協和村を編入
平成16年(2004)の平成大合併で甲奴郡上下町を吸収合併し現在に至る
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P.観光駐車場 1.地域交流センター 2.日本一の石灯籠 3.町屋Cafe 恋しき 4.平地呉服店
5.桑田醤油醸造所 6.石見銀山街道・出口通り
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日本一の石灯籠(金毘羅灯籠)
文化十二年(1815)乙亥 冬十月吉日建之 地上高:8.4m 笠石:2.6m角
石垣組土台 高さ:1.8m 底辺:6.35m
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金毘羅宮(金毘羅大権現)
町屋 Cafe & Dining 恋しき
明治5年(1872)開業の旅館土生屋 数々の政治家や財界人及び文人墨客が訪れた
鞆津で萬問屋を営み小田県の融通会社(銀行の前身)である小田県西商社の大頭取を勤めていた
延藤友三郎の提案により 名前を「恋しき」と改名「戀一色」の通称で親しまれた
大正初期に造営された築山に滝と池を配した回遊式庭園がある
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南側から見る「恋しき」の建物
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「恋しき」ブライダルを
庭園入口は開放されている
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旅館 恋しき
出口町まで旧市街地の府中町を散策
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お茶の柏原商店
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末広通り胡(えびす)神社
恵比寿神社
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土蔵造り虫籠窓と格子の家
観音堂のある辻
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観音堂の内部
大師堂?
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石見銀山街道の本町通り
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本町交差点 平地呉服店 昭和8年(1933)建設
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大正9年創業「ますや」 現在地に移転したのは第二次大戦後
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オープンスペース「ほんまち家」
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土蔵を改造したアパート
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家紋入り軒瓦 鬼瓦をのせた卯建 重厚な黒壁
出口通り
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出口通り分岐路
石州街道の出口村を通るコースは この石標のところから大黒・胡・川上を通り荒谷の
別両路(わかりょうじ)を左にとり 坂根峠を越えて木野山に下り行勝・斗升・矢野をへて上下に至る
石州を通り出雲へも通う道であった 旧藩時代はここに木戸が設けられ夕刻には閉ざされたと言われる
また 当時街路がT字型になっていたため 此の場所を通称「カンノキ」と呼ばれている
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道標 現在は移設されたと思われる位置にある
北 上下/小畑 石州道(小畑は神石郡小畠村 神石高原町役場所在地=広島県神石高原町小畠まで 21.4km)
西 市邑/甲山 道(市邑は御調郡市村 現・尾道市御調町市 甲山は世羅郡桑原郷甲山村 現・世羅町甲山)
東 福山/上方 道 福山・上方(京・大阪)共に西国街道の神辺宿を経由
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本町荒神社(荒神屋敷)江戸中期の建立
昭和25年創業 瀬尾製麺所
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出口川 芦田川に合流して福山湾に至る
浄土真宗 光暁山 慶照寺 鐘楼山門
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上がる卯建に嘗ての繁栄を偲ばせる
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名刀鍛冶 竹中邦彦生家
胡(えびす)神社
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左側駐車場が「茶屋跡」
江戸時代 石州銀山街道を利用した代官や領主が利用した休憩所
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<左>番所跡の石垣 福山藩の口留番所があった所 石垣は役宅の土台で村人は御番所と呼んでいた
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府中市出口町300番地の大きな石灯籠
天照皇大神宮(伊勢神宮) 出雲大神宮 八幡宮 天保十年(1839)己亥 十一月吉日 上辻中
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本町通り 藤原佑造商店本店 大正初期の建築
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明治から大正初期の洋館 二階のテラスが特徴
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府中市目崎町 亀齢橋と桑田醤油醸造所 2013.12.04 撮影
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桑田醤油裏の出口川運河 このあたりは剣先と呼ばれ芦田川を利用した河運の湊であった
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