2018.04.26 広島県世羅町大字甲山 世羅甲山の散歩

甲山は石見銀山街道の宿場町であった  石見銀山の発見は鎌倉時代とされているが 本格的に開発されたのは
戦国時代の大永6年(1526)に 博多商人の神谷寿貞によって地下鉱床が掘り当てられてからである
当初は領主である大内氏の所有となったが その後は戦国武将による争奪合戦が繰り広げられたが
永禄5年(1562)に毛利氏の所有となった 天正12年(1584)毛利氏が豊臣秀吉の元に降り
秀吉の奉行管理となった 関ヶ原後は一帯の4郡146ヶ村が天領となり代官所が置かれ幕府の直轄となった
銀山の開発初期は 日本海にある仁摩町の鞆ヶ浦が積出港であったが 後は温泉津の沖泊に移されていた
しかし冬期の季節風により出港を控えることが頻繁に起こっていたこともあり 江戸幕府の直轄事業として
山地越えで 大森から尾道湊まで幅員7尺(2.12m)・距離35里(約137km)の石見銀山街道が整備された
後に<宇賀の追分>から上下宿に出て 府中宿から西国街道の神辺宿を経由し笠岡湊に至る街道も整備され
笠岡も公儀の積出港となった 尾道への往還では馬を使い都合4日の日程を要したとされる
そのため道中に 10ヶ所の馬継駅と4ヶ所の宿場が設けられ
大森−堂原−別府−小原−浜原−九日市宿−酒谷−赤名−室−布野−三次宿− 吉舎−<宇賀の追分>−甲山宿
−御調(みつぎ)−尾道宿(尾道湊)の道程であった(尾道は西国街道の宿場でもある)
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1.今高野山 龍華寺 2.古城山展望台 赤線:石見銀山街道
駐車場は 麓に今高野山観光駐車場と中腹に今高野山丹生神社駐車場がある 双方共に無料
世羅は 古代吉備国の西部に位置したが 持統天皇3年(689)に吉備国が備前・備中・備後の三国に分けられ
和銅6年(713)には備前国から美作国を分立し 結果的に四国に分断された 
『日本後記』の延歴24年(805)12月7日の条に 備後国山間八郡のひとつとして世羅郡が初見され
郡内に甲山のある桑原及び大田・津口・鞆張の四郷があった
平安後期の仁安元年(1166)後白河院を本家・平重衡を領家・橘氏を下司領主とする荘園・太田荘が拓かれた
当初の見作田数は30町8反260歩と記録され 大田・桑原郷全域を含んでいた他 尾道湊を年貢保管・積出しの
倉敷地とした その後 宇賀・戸張保・横坂の各郷が加えられ 建久年間(1190〜99)には613町歩に拡大した
平家滅亡後の文治2年(1186)に後白河院より高野山金剛峯寺へ寄進され 金剛峯寺では僧を下向させて
預所に任じ 桑原郷甲山に今高野山を建立して政所とし強力な在地支配を進めた
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観光駐車場掲示板の絵図

鎌倉時代初期の下司は橘氏が努めていたが 建久8年(1197)頃に謀反を理由に罷免された
後任として三善康信が地頭に補任され その系譜は大田本郷の上田氏・山中郷の富部氏・桑原方の大田氏の
三流に分かれ荘園の支配基盤が弱体化し 鎌倉時代後期には在郷出身預所の勝手支配により分断された
南北朝時代の元弘3年(1333)に 後醍醐天皇から地頭職が高野山に寄進され再び金剛峯寺の
名目的な寺家一円領となったが 土豪武士による騒乱が絶えず高野山支配の弱体化は留まることはなかった
弘和元年(1381)には 荘内に侵入した山名氏によって半済が強要され
応永9年(1402)には山名氏の守護請となった 応仁の乱から戦国時代にかけては近隣領主による侵入によって
荘園として機能しなくなり 最後は毛利氏の領地となって荘園・大田荘は消滅した
関ヶ原後は毛利氏が周防長門に減封され 安芸備後二ヶ国には福島正則が入封し広島藩が立藩した
元和5年(1619)福島正則が転封され 代わって紀州より浅野長政の子・浅野長晟が広島藩に入封し明治に至る
明治4年(1871)廃藩置県により広島県の管轄となり 明治11年(1878)行政区画としての世羅郡が発足
甲奴世羅三谿郡役所が甲山に設置された 明治22年(1889)町村制により甲山村が発足
明治31年(1898)町制施行して甲山町となった 昭和30年(1955)世羅郡三川・東村と御調郡宇津戸村を合併
平成16年(2004)甲山・世羅・世羅西の三町が合併し新制の世羅町が発足した
今高野山 龍華寺
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早朝の参道 7:08
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御影堂 元禄13年(1700)再建
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古城山展望台 展望台は封鎖
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底霧の世羅盆地と標高634.9mの新山 7:35
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石垣の中は第二次大戦中の甲山防空監視哨
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丹生神社神殿 丹生明神と高野明神
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上に咲かせる藤棚
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神ノ池と神之橋
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総門(仁王門) 8:00
甲山 まちなか散歩
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麓から見る古城山展望台 手前の建物は大田庄歴史館(開館午前10時・入館料210円)
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甲山宿 今高野山通り
石見銀山街道の高野橋から芦田川の川湊跡
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真宗 正満寺
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