2018.11.14 黒田家城下町・筑前秋月の散歩

秋月のある朝倉市は 市内を北西から南東へと貫く国道386号線あたりを境に
南側は甘木を中心とする盆地 北側は小石原川による三輪地区の扇状地及び秋月の小盆地が存在し
その背後は  古処山をはじめとする600〜900m級の山々が連なる山地となっている
古代より人が住み 水利の良さから縄文末期から水田が発達して集落が形成されたとされている
また 地名の酷似から大和朝廷との関係も深いとされ 甘木朝倉・邪馬台国説も唱えられている
因みに 朝倉の大己貴神社と大和国一宮の大神 (おおみわ) 神社は ともに三輪大明神とされている
中世期には東西の流通も発達 拠点として甘木が繁栄して 古処山地を越える南北ルートも拓かれた
秋月は 北の古処山系を始めとする山々に囲まれ 野鳥川によって狭い扇状地と小盆地が形成された地形にあり
平安時代中頃には 博多津にある筑前国一宮・筥崎神宮寺の荘園「秋月庄」が拓かれた
鎌倉時代の建仁3年(1203)原田種雄が 鎌倉幕府の鎮西御家人として秋月庄を賜り 古処山上に城を築いた
これを契機に原田氏は秋月氏と改名し 以後17代384年間にわたって秋月を統治し城下町として栄えた
しかし天正15年(1587)島津征伐のため九州に攻め込んだ豊臣秀吉の軍勢に敗れ 秋月氏は日向国財部に
移封された その後筑前国は 豊臣秀吉の直轄統治による博多津の復興後 小早川隆景が筑前国領主となり
江戸時代に入って  慶長5年(1600)に黒田長政が筑前国に移され福岡藩が立藩された
以降 廃藩置県まで271年間にわたり黒田家の統治が続き 一般的に黒田藩とも称されている
秋月は長政の叔父直之に与えられた後 長政の遺言によって元和9年(1623)長政の三男長興が
夜須・下座・嘉麻三郡のうち5万石を分与されて支藩の秋月藩を立藩し 同じく廃藩置県まで248年間続いた
一国一城令により無城大名とされたが城主格が与えられていたとされる 藩庁は秋月陣屋であった
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明和5年(1785)作図 秋月御城下絵図 福岡県立図書館収蔵

今も残る秋月の城下町は 寛永元年(1624)に黒田長興が行った縄張りを契機として形成されたもので
城下の町割は 中央を流れる野鳥川によってほぼ南北に分けられ 北側の八丁越えの街道に沿って町屋を
南側に藩主の居館・陣屋・上級家臣団の屋敷を配し 周辺の山麓には寺社や下級家臣団の屋敷を配した
南北に通された二本の道筋を基軸とし 東西にも道を通し碁盤目の町割りとした
城下への出入り口には枡形を設け番所が置かれたほか 町家と武家地の間にも枡形が設けられ
武家地を通る八丁越を廃し 新たに西側に八丁越えの新道を整備して町家の東側に札の辻を設けた
江戸中期以降は 野鳥川を渡った西側にも町屋が拡大した 経済的には福岡藩領甘木宿の影響下に置かれたが
藩政自体は本藩からの独立性を保ち 特産品の元結・寿泉苔・葛粉等によって町は独自の繁栄を見せた
文化7年(1810) 枡形のある城下入口に 長崎から招致した石工によって石造アーチの目鏡橋が架けられた
明治維新後は 政治機能を失い武家の流出により多くの武家屋敷は取り壊され田畑となった
藩政期に幾度か焼失した町家は明治期以降からは被災することなく 多様な建築形式を要する町並みを残した
しかし交通の要衝としての機能が薄く経済的活力を失ったことから開発を逃れ その結果 町割や屋敷割
道路網や水路網など城下町であった時代の基本的な構成要素が今日に伝えられ小京都と呼ばれるようになった
幕末期の藩領は 旧夜須郡52ヶ村のうち上秋月・下秋月を始めとする36ヶ村と四三島・中牟田村の分郷地
及び 旧下座郡43ヶ村のうち10ヶ村と平塚村の分郷地 そして嘉麻郡63ヶ村のうち20ヶ村の
都合66ヶ村と3ヶ村の分郷地であった 明治4年(1871)の廃藩置県により秋月県となり 後に福岡県に編入
明治22年(1889)町村制施行により秋月村となり 明治26年(1893)には秋月町となった
明治29年(1896)に朝倉郡が発足し甘木に郡役所が置かれた 昭和29年(1954)に発足した甘木市へ編入
平成18年(2006)には 甘木市・朝倉町・杷木町が合併した朝倉市の傘下となった
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国土地理院空中写真
1.眼鏡橋と城下入口の枡形 2.秋月城址(陣屋跡) 3.旧田代家住宅 4.時櫓跡(宮地嶽神社)
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散歩のルート
紅葉を期待して行ったが 季節外れの高温が続き「見るも無残」というべき状況であったが
太宰府観光と抱き合わせと思われる中国人ツアー客で「杉の馬場」だけは賑わっていた しかし
店で買ったものを歩き食いしスマホで写真を撮ってそそくさと帰っていく
我々のように町中をゆったり散策する人は稀な存在である
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垂裕神社(すいようじんじゃ)の神門 明治13年(1880)に移築された秋月陣屋の大手門(通称:黒門)
安政6年(1859)秋月藩第十代藩主・黒田長元が初代藩主長興の二百周忌を迎えるにあたり
その功績を記念するため秋月八幡宮宮司宮永保親に命じて京の神祇管領長上の吉田家に神号授与を申請
吉田家より『垂裕明神』の神号を与えられ 神霊を秋月八幡宮相殿に祀ったのが始まりである
元治元年(1864)に秋月城内の仮御殿に遷座 明治5年(1872)から3年かけて社殿を建設し現在に至る
昭和22年(1947)歴代藩主及びその夫人・公子 島原の乱から太平洋戦争に至る戦死者を合祀する
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秋月陣屋の長屋門
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堀端のクスノキ
城下の消火栓ボックス

今も残る武家屋敷
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月見坂
中秋の名月が 秋月陣屋の真上から昇るのを この坂から見ることが出来るのを由来とする
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門だけが残された武家屋敷地 月見坂の上は 中央寺(ちおんじ)と呼ばれ
陣屋と対峙する戦略上重要な地域で 上級家臣の屋敷が配置されていた
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文化12年(1815)建築 旧田代家土塀
田代家は秋月立藩のおり藩主黒田長興付きとなった家老田代外記(2千石)から始まり 三代目政直が
福岡本藩に差し戻し後 元禄3年(1690)に二代目藩主長直に弟の半七が100石で召し抱えられ
後に加増されて 明治まで150石取りの家臣として仕えた 幾度となく大火に見舞われ
文化6年(1809)に当地へと移されたが 同11年(1820)には自らの土蔵から出火し隣家まで類が及んだ
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田代家住宅は無料で公開されている
平成13年(2001)に市へ寄贈 平成19年から21年まで江戸時代後期の姿に復元整備した
秋月藩では 家臣の敷地は100石につき約300坪が配分され この田代家では428坪の敷地を拝領している
建築面積は 母屋が約48.7坪あり 約6坪の土蔵が付随している
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有料公開の武家屋敷 久野邸
黒田長興公に伴い秋月にやってきた久野惣右衛門が初代である 役職は藩主の側近であった馬廻りで
130石取りの中老格の家臣であった 春小路の現在地に藩の定めより広い660坪の屋敷を拝領し また重役でも
許されなかった2階屋を藩主から拝領していることから 側近衆として重んじられていたことを伺わせる
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武家屋敷通り 春小路
秋月氏二十四支城 福嶽城址 「時櫓」
戦国時代 秋月氏は古処山の頂上に本城を築き 領域の要所に24ヶ所設けた出城のひとつである福嶽城は
この尾根を西へ進んだ標高175mの長谷山々上にあったとされ 辺り一帯は城主福嶽美濃守の屋敷跡と伝えられる
江戸時代に 八幡宮から鐘櫓を移設し 城下に時刻を告げるための「時櫓」を設置したので「鐘山」といった
文化元年(1804)には 御館西北の隅に二重の櫓を築き太鼓で時を告げたが 聞こえづらかったため
文化12年(1815)にこの場所に再度戻された 現在 鐘はなく宮地嶽神社の拝殿と小祠が建っている
拝殿の控え石柱は、木造の簡素な造作と不釣り合いであり 本来時櫓を支えるためのものであったと思われる
このことから時櫓はかなりの高さを有する建物であったことをうかがい知ることができる
この丘に立つと城下を一望でき 人々の眼を楽しませてくれる
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時櫓跡への道は民家の裏にある
福嶽城址へは 市立秋月小学校北門前から山上まで車道が通じているが 一般車は通行禁止となっている
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宮地嶽神社の拝殿と小祠
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陣屋跡と手前の武家地跡
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武家屋敷通り 春小路
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秋月ろまんの道と秋月レトロ市 元は博多織の工場だった建物 20余りの骨董屋が入る
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浄土真宗本願寺派 法輪山 西念寺
創建は天正15年(1587)で 秋月種実の家臣であった小山田昌信が出家し名を正信と改め自邸を寺とした
寛永元年(1624)秋月藩から現在地を賜り堂宇を建立 文化年間に大修復し現在に至る
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野鳥川沿いの小道
松竹映画「男はつらいよ・第28作 寅次郎紙風船」のロケ地 旅の途中でテキヤ仲間の常三郎(小沢昭一)の
女房光枝(音無美紀子)から常三郎が病気だということを知らされる 秋月に常三郎を見舞った寅次郎は
常三郎から「自分にもしものことがあったら光枝の事を頼む」と思いがけない相談を持ちかけられる
寅次郎が 秋月を去る日 光枝と野鳥川沿いの小道を歩き
別れぎわに光枝が「常三郎がもう長くはない」と打ち明け 泣きながら小走りに去ってゆく
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秋月街道 
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秋月街道は 秋月・福岡両藩にとって嘉麻郡内の村へ至る重要な道であった
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屋根付き看板のある商家 何を商っていたかは不明 今は新聞屋?
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秋月立藩後に整備された新八丁越の道
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四つ角は札の辻
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左は町家 右は武家地で後に役所となった
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土蔵で営業する 囲ろり山のくら
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