2018.04.19  福岡県八女市 黒木町(くろぎまち)の散歩 

黒木町は福岡県の南端部に位置し 南側は熊本県山鹿市と接している県境の町である
栄林周瑞禅師が 応永30年(1423)に笠原に霊厳寺を建立し明国から持ち帰った茶の栽培を始めたとされる
八女茶の発祥の地である 鎌倉時代には 豪族・黒木氏が猫尾城を構え 大友氏 後に龍造寺氏に仕えたが
天正12年(1584)の大友氏による龍造寺攻略軍により城は落とされた その後域内には築城されることなく
八女福島城主・筑紫広門により下町が 慶長期には筑後国主・田中吉政により中町・上町が町立てされ
江戸初期の初代久留米藩主・有馬豊氏による豊後別路往還の整備に伴い 茶・材皮・堅炭など
豊富な山産物を扱う在方町として 久留米藩領五ヶ町の一つに数えられるほど繁栄した

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黒木町黒木伝統的建造物群保存地区(文化庁報道資料から転載)

町並みは東端の素盞鳴神社を起点に上町・中町が続き 南へ折れ下町から津江神社に至る往還に沿って発展した
通りには 明治13年(1880)の大火前後に「居蔵造」形式の町家が建ち並び 明治22年(1889年)4月
町村制施行により黒木町が発足した 明治後期から大正期に真壁造や洋風建築なども建てられ
八女福島に次ぐ八女郡第二の商都と謳われ全盛期を迎えた 昭和29年(1954)「昭和の大合併」により
笠原・木屋・串毛・豊岡村と合併 昭和32年(1957)には大淵村も編入し町域は拡大したが
平成22年(2010)2月1日「平成の大合併」で八女市に編入され 行政府としての黒木町は消滅している
町家は妻入二階建 屋根は入母屋造桟瓦葺を基本とし両袖に下屋を降ろして 外壁は軒裏まで漆喰で塗り込め
大壁造とした また腰壁に緑泥片岩を張るスケールの大きな外観も垣間見られる
町並みは農村集落の村並みから生まれ 町方に隣接する村方は田畑や樹林地などの生産基盤がよく残され
水辺の集落に洗い場や湧水地などが点在する 町並み東端の素盞鳴神社には 樹齢600年を越す
「黒木の大フジ」が 西端の津江神社には 樹齢800年の「津江神社の大クス」がある
町並み北辺の上町中井手用水沿いには 大正期まで酒や醤油の醸造蔵が 南側の上町黒木廻水路沿いには
明治期の土蔵や川に臨む離屋や主屋が 中町北側の中井手用水沿いや下町南側の屋敷尻にも明治期の土蔵や
納屋が建ち並び 水路の清流・護岸の玉石積み・畑地や小堂などが醸し出す独特の歴史的風致を形成している
明治41年(1908)民俗学者・柳田國男が当地を訪れ 路傍の清流や並木 石張り塗り家を見聞し
全国に類まれな「古く黒みたる市街」との印象を書き残している
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昭和33年(1958)6月撮影の黒木の町並み(筑後黒木パンフレットから)
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大正4年の町並み 右側に水路と並木
水路が残る現在の町並み
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東上町
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丸宗菓心庵
江戸時代の文政年間 立花町で萬屋「宗商店」として創業  明治大正を経て昭和の初めに黒木町へ移転
三代目によって萬屋からお菓子舗へ転業した
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店内のテーブルは粉挽き水車の歯車
看板も同じく粉挽き水車の歯車
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大正モダンな化粧品店「花房」
まちなみ交流館 旧松木家住宅
表構を残す居蔵造の町家 棟木の墨書銘から 明治13年(1880)の黒木大火の翌年に建設されたことが分かり
判明する所有者は三代で 最近まで店舗兼住宅として使用されてきた
棟木墨書の一部「明治十四年巳二月八日棟上 穴見要造是」
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中町
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下町
道は狭いが 豊後別路往還が残る下町区域
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大渕家のむかし話
明治5年、柴田萬吉が建設した町家を昭和27年に大渕家が買い取り、以来平成17年まで酒屋を営んでいた。
唯一全体が残された大火前建築の町家で、大火後の居蔵造町家の原点ともいうべき町家である。
主屋は梁間三間、正面のみ両袖に半間の下屋を架け、屋根は入母屋造桟瓦葺、外壁は大壁造、正面・側面ともに
軒裏まで白漆喰で塗り込め、正面脇と側面腰を青石張りとした本格的居蔵造町家である。
また、主屋と土蔵が一体をなした屋敷構えもよく残り、黒木町にとって重要な町家である。
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保存工事中の石張居蔵造の家
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津江神社御旅所の火見櫓と半鐘
津江神社の大樟 樹齢:800余年 境内末社・春日社の御神体 
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根本土際周囲:36m 地上1.5m幹周囲:12m 枝下:9m
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樹高:40m 枝張り:東西43m・南北40m
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腰壁の板状緑泥片岩は 荷車などへのガードの役割を果たす
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黒木廻水路
黒木堰の取水口
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寛文4年(1664)築造の黒木堰
元和6年(1620)二代目筑後藩主田中忠政が病没し田中氏が無嗣改易となり 田中氏32万5千石の所領は
久留米藩有馬氏の21万石と柳河藩立花氏の10万9千石・同じく分家立花氏の三池藩1万石に分割され
久留米藩と柳川藩の境界は矢部川の中央と定められた その矢部川を回る廻水路とは 取水した水の余水を
下流の相手側の堰を迂回して さらにその下流にある自領の堰へ安定的に廻水するための水路のことで
矢部川には 上流の花巡堰から松原堰に至る30kmの間に両藩の堰が交互に設けられた
この廻水路と堰が 両藩で系統的に機能するまでに約180余年の歳月を要した
学びの館 旧隈本家住宅
明治16年(1883)旧上妻郡今村(現八女市黒木町今)の地主であった初代・隈本儀三郎により建築された
この民家は 明治前期の大規模な農家住宅で 笠原川から取水した上井手用水沿いに屋敷を構えている
主屋は木造二階建・入母屋造瓦葺 外壁は真壁造漆喰仕上げとしている 室内は太めの柱・梁が使用されるほか
懐かしい竈や五右衛門風呂なども残され 昭和初期の生活様式をたどることができる
敷地内にある北側斜面の玉石積み 防火用水を兼ねた泉水 玄関口の端正な石畳も見所である
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福岡県八女市黒木町笠原 臨済宗妙心寺派 大端山 霊厳寺の奇岩
霊厳寺の開山は  明国から茶の木を持ち帰った茶祖・栄林周瑞禅師で 応永30年(1423)に霊厳寺を建立した
開基は 栄林禅師の後見・庄屋・松尾太郎五郎久家で このとき栄林禅師が茶の実を久家に与え
お茶の栽培方法を伝授したことが八女茶の始まりとされ 霊巌寺は八女茶発祥の地としても知られている
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珍宝岩と地蔵岩
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地蔵岩
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仲人岩 女岩 座禅岩 たぬき岩
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