2017.11.02  長崎県諫早市・轟峡から佐賀県武雄市・鬼ノ鼻山

前日に雲仙の紅葉を見て道の駅太良で車中泊 今日は山茶花高原と轟峡に行く
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太良町栄町区・伝説の鳥居 大魚神社の「海中鳥居」
約300年前(1693年頃)悪代官に手を焼いた地区民が示し合わせて沖ノ島に誘い酒盛りをした。
酔った代官を島に置き去りにした。満ちてくる潮で島は沈みかけ、驚いた代官は龍神様に助けを求めた。
すると、大魚(ナミノウオ)が出て来て代官は魚の背中に乗って生還した。
感激した代官は魚の名前を取って「大魚神社」を建て、岸から約2丁(約200m)の海中に鳥居もたてた。
以後、海の安全と豊漁祈願が行われ、地区民の暮らしも豊かになった。
この鳥居は沖ノ島との間の鳥居であり、30年毎に建立する習わしが今も伝えられている。
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2017年5月19日撮影 引き潮の海中鳥居
伝説と縁結び何の関係がある?
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海中道路の電柱
山茶花高原ピクニックパーク
公式サイト:http://www.sazankakougen.com/ 運営:諫早市小長井振興公社
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雲仙普賢岳・平成新山遠望
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トリム広場
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雲仙遠望
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風の丘芝生広場はバーベキューができる 入園無料
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ハーブ園 入園料300円
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轟渓流(とどろきけいりゅう)
多良岳を源流とする境川の上流域に位置する渓谷 水量が豊富で奇岩に恵まれた大小30余りの滝がある
別名に轟峡(とどろききょう)がある 昭和26年(1951)に指定された多良岳県立公園に含まれる
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昭和60年(1985)名水百選に選定
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銀鈴渓
轟渓流のうち最上流部分の渓谷
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標高697mの烏帽子岳
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轟峡 滝巡り

楊柳の滝(ようりゅうのたき)
落差:50m

轟峡には「日本の滝100選」に
該当する滝は無い
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大龍の滝(たいりゅうのたき) 落差:8m 別名:鉈落としの滝
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轟峡キャンプ村吊橋
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轟の滝(とどろきのたき) 落差:12m 耳鳴り岩の前に立つと音が轟くことから名付けられた
その名が渓谷名になった代表的な滝
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轟の滝 滝壺
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烏帽子岳の山容
河鹿橋

佐賀県嬉野市塩田久間 志田焼きの里博物館
<佐賀県庁ホームページから転載>
● 遺産にまつわる物語
陶土製造から焼成まで全工程を一つの工場で大規模に行っていた志田陶磁器株式会社の工場跡である。
志田の里は、庶民向け陶磁器の大量生産供給地であった。昭和30年頃まで、火鉢等を中心にかなりの
生産量を誇っていたが、生活様式の変化等によりしだいに低下し、昭和59年に閉鎖された。
これにより志田の窯業の一時代に幕を閉じた。閉鎖後は、当時の作業状況を残したまま風化しつつあったが、
志田焼及び工場の価値が再認識され、平成9年に「志田焼の里博物館」として開館した。
● 建物の特徴
個々の建造物の特徴というより、建造物群全体、用具備品などを含めて貴重な産業遺構である。
土づくりから成形、絵付け、焼成までの各工程が一つの工場内で、
しかも大規模に行われていた事例は全国的にも稀である。
● 保存や活用の取組
志田焼博物館運営協議会の管理により、一般公開されている。
塩田職人組合や地元等の協力により、各種イベントも開催されている。
平成21年には、有田の窯業関連遺産とともに経済産業省の近代化産業遺産群にも認定された。
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志田焼は 肥前鍋島藩有田大外山の本藩領東山と蓮池支藩領の西山の二つの窯場で焼かれた陶磁器をいう
初期は 土物の陶器のみであったが江戸時代中期の元禄頃からは 塩田宿に陸揚げされた天草陶石による
磁器の焼成が始まった その後文化年間より全盛期を迎え 東西五ヶ所の登り窯によって大中小の染付皿が
大量生産された しかし それ以外の磁器製品の生産量が極端に少ないことが特徴となっている
幕末期には鍋島藩窯業全体の中で 志田染付皿の占める割合は過半数に及ぶとみられている
明治になると 輸出用磁器製品の製造が始まり 皿以外の大型商品も作られるようになり発展した
この工場は 大正3年から昭和30年代までは火鉢などの中心的生産場所となったが 生活様式の変遷と
産業機構の変化をうけて 家庭用磁器製品の需要が極端に落ちたため昭和59年に閉鎖された 現在
近代化産業遺産の他 産業考古学会推薦産業遺産・佐賀県遺産・文化庁日本遺産などの登録を受けている
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塩田街道探訪時に立ち寄ったが休館日であったため 今日の再訪となった
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スタンパー(搗砕機)天草陶石を砕く
釉薬の瓶
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石膏型「文化湯暖保」 磁器製湯たんぽ
焼成用匣鉢(サヤ)地元ではボシと言う
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大量生産に使われる各種石膏型 ロクロは使わない
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稼働している工場の「休日の雰囲気」
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石炭窯(単窯)
昭面29年頃に現在の窯に築き直され、昭和50年代まで稼働。
この工場では生掛け(素焼をしないで焼くこと)による焼成である。月に一度の火入れがノルマとされ、
火鉢を中心として花立、徳利、二口燗等が焼かれた。当初は石炭が燃料。 後に重油窯に改造。
外回りの幅は6m、奥行きは8mである。単窯が出来る以前は登り窯によって焼成が行われていた。
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石炭窯
重油窯に改造
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大窯(単窯)
昭和33年頃に築かれた。昭和40年代初め頃まで稼働。火鉢生産の最盛期を物語る窯で、
現在残っている石炭窯では国内最大級のもの。外周りの幅6.6m、奥行き12.4mである。
大規模な窯を経営していくという背景には、従業員90人程の会社組織の運営や志田地区の200年以上に及ぶ
窯業の歴史等、それ相応の体制や基盤があってのものと考えられる。
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内部は「研修・教室」の休憩室として使われている
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産業造形美
インカの遺跡を彷彿させる造形
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石炭投入口のある窯側面
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耐火レンガのポーチ
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陶芸教室が開かれる現在の絵付け工房
佐賀県多久市多久町 鬼ノ鼻山
今日の最終目的地である鬼ノ鼻山は 佐賀県多久市と同県大町町の境にある標高434.6mの低山である
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鬼ノ鼻山憩いの森から 標高416mの聖岳に至る尾根伝いのルートは格好のハイキングコースとなっている
2日続きの山行の疲れと到着時間が遅かったことで 途中の弁天山で引き返すこととなってしまったが
鬼の展望台を含め楽しそうな山で 再チャレンジは必須である
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鬼ノ鼻山憩いの森駐車場から見た「鬼の展望台」 午後3時0分
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憩いの森公園鬼の滑り台
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東屋から階段道と岩場道に別れる
階段道を選んで登る
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約15分で鬼の展望台に到着
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左右の目から展望する 眉山・八幡岳・天山・彦岳
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展望所から見た鬼ノ鼻山本峰と聖岳への縦走路
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岩場道
鬼ノ鼻山三角点と鬼の展望所
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山頂から鬼の展望所を見る
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標高464.4mの弁天山 午後4時過ぎ
時間切れであえなく引き返し
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山茶花の咲く尾根道
山茶花
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展望広場から北方町と六角川 右の池は焼米池
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鬼のオブジェ
背後は断崖 余り後ろへ下れない
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六角川と雲仙遠望
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武雄・御船山
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午後5時10分 鬼ノ鼻山を下る
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石蕗(ツワブキ)の花
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