2017.07.31 野津町のひまわり畑と稲積水中鍾乳洞

大分県臼杵市野津町大字吉田 うすき農尊協同組合 ひまわり畑
『うすき農尊協同組合』は臼杵市野津町を拠点に 「儲かる農業の実現」を目指し 農業生産法人12社が参加し
第一次産業である農業を通じて 地域の特性を活かした魅力ある“まちづくり”の一翼を担うことをめざしている
2015年から毎夏 野津町川平地区で”たばこ栽培”に使っていた耕作放棄畑に”ひまわり”を植えて
観光に寄与すると共に「ひまわりオイル」を生産販売している 畑の全面積は11haあり栽培本数は100万本で
西日本最大級と”自称”はするが 同県豊後高田市の「長崎鼻ひまわり畑」が 面積11.5haで栽培本数120万本
宮崎県高鍋町の「染ヶ岡ひまわり畑」が 面積80haで栽培本数は1100万本と 上には上がある
ひまわり畑を始めてまだ3年目なので 全国のひまわり畑を網羅する「ひまわり畑ネット」には未登録である
畑内の様子などから 観光化にはまだまだ課題は多いと思われるが  ぜひとも頑張って欲しいと思う
うすき農尊協同組合 公式サイト:http://usuki-nouson.com/
ひまわり畑ネット 公式サイト:https://www.himawaribatake.net/
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連日の熱帯夜にうんざりして 昨夜は「道の駅波野」で車中泊した 夜間に自宅からの道中で雷雨となったが
翌朝は 写真の通り雲ひとつ無く快晴である しかし朝から蒸し暑い おまけに脚元は泥だらけとなってしまった
靴が泥だらけホコリだらけではリピーターは来ないだろう 畑の中の歩道は もう少し整備したほうが良い
また  畑の中ほどは ヒマワリが倒れていたり 雑草がたくさん生えていたりと
畑の状態も  同じようにひまわり油を作る「長崎鼻ひまわり畑」に比べ 今一歩足りない感がある
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ヒマワリ(向日葵)
原産地は北アメリカ 学名はラテン語でヒマワリを指す<Helianthus annuus
キク科の一年草で 和名では別称として日輪草・日車・日車草・日回り草・向日葵(ヒュウガアオイ)など
英名はサンフラワー<Sunflower> フランスではソレイユ<Soleil>と呼ばれる
利用目的によって 園芸用・食用・油糧用の3種類に大きく分類され 最も栽培面積の多いのは油糧用として
品種改良されたものである 食用・油糧用のヒマワリは種を得るための作物で 観賞用と比較すると
周辺の舌状花が小さく 中央部の筒状花が大きい 和名の由来は 太陽の動きにつれてその方向を追うように
花が回るといわれることからである ただし太陽を追って動くのは生長が盛んな若い時期だけで
つぼみを付ける頃まで続くが 大きくなり花が開く頃には生長が止まるため 完全に開いた花は基本的に
東を向いたままほとんど動くことはない これは成長に関係なく夜間に東へ戻る動きは変化しないためである
油糧用品種では 種皮色は黒色で 食用や観賞用品種には長軸方向に黒と白の縞模様がある
良い意味の花言葉は
「私はあなただけを見つめる」「あなたを幸福にする」「あなたは素晴らしい」「あこがれ」
「愛慕」「崇拝」「光輝」「熱愛」「情熱」「待っててね」
悪い意味の花言葉は
「いつわりの富」「ニセ金貨」
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早朝の午前6時40分から午前8時頃までひまわり畑にいたが 気温はぐんぐん上がり とにかく”蒸し熱い”
今日のお昼は 佐伯で寿司を食べたいと思っていたので とにかく南へと移動する
大分県佐伯市にある 干物と加工食品直売所の「さいき海の市場〇」に隣接する「鮮度壱番」
同じく佐伯海産株式会社が経営する生鮮品と寿司を販売する店舗で 朝9時30分から開店している
この店舗のイチオシの特徴は 購入した寿司を二階の食事処で食べることが出来ることである
また 寿司も本格的でネタも大きく 好みのものを一貫ずつ購入できるのも嬉しい
また 寿司以外に惣菜や白飯なども販売されているので その他のものを定食風に食べることも可能
お茶はセルフで無料 有料の味噌汁が数種類用意されている 他に子供を遊ばしておくスペースも有り
休日には家族連れで混雑することもある 今日も早々に佐伯寿司を頬張ることにする
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さいき海の市場〇
鮮度壱番 開店時間は 9:30~18:00
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鮮魚も販売する
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寿司コーナー パックされた盛り寿司とネタ別に一貫から買える寿司まで種類は多い
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「まぐろづくし」と「海老づくし」で 2000円
二階の食事処

買い物と食事を済ませてから 同じ道を戻って豊後大野市へ
稲積水中鍾乳洞
所在地:大分県豊後大野市三重町中津留300番地 入場料:1200円
日本最大の水中鍾乳洞で 確証はないが 元々は第四紀の中頃(およそ20万年前?)の氷河期に形成されたと
推測され 約8万5千年前の阿蘇カルデラの大噴火によって 中津無礼川の峡谷が埋まり
山麓にあった洞窟の全体が水没し水中洞窟となった その後 火砕流堆積物の上部3/4が中津無礼川によって
侵食されたために 水中洞窟の上半分は排水されて再び空気中に露出し 下半分が水中洞窟の状態を留めていた
洞内に湧く地下水は 名水百選に選定された中津無礼川の水が 鍾乳洞より直線距離にして約4km上流の
白谷から浸透したもので 調査では流出までに5日を要している 観光開発前は 稲積山の山麓に奥行きのない
小さな吐出洞として開口しており 下半分が地下水面下にあった
開発のために排水路を掘削し地下水位が約2m下げられ 遊歩道は元の地下水面直下のレベルにある
開発後の調査では 水中洞窟は全長延べ1000m以上あり 水面下に平均深度10~20mの空洞が確認されている
これらのことから解るように 現在観察できる鍾乳石は 一部が水中にあり 一部が空気中に露出し
水面下では決して形成されることのない鍾乳石が水面下に位置する光景を観察できると同時に
 開発前まで 水中で激しく溶かされつつあった鍾乳石を間近に見ることもできる希少なものである
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ある日 白山川(中津無礼川)で川遊びをしていた子どもたちが 偶然に水中に穴を見つけた
これが水中鍾乳洞の発見である 昭和51年(1976)佐伯ダイビングクラブが潜水調査をし
主洞部(水中洞)だけで500m以上 洞奥は水深60m以上に達することが判明し 支洞(新生洞)への新洞口も
発見された 同年夏には開発工事に着工し 稲積鍾乳洞学術調査団による学術調査も 翌年の秋まで続けられた
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洞内から流れ出る清流
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洞口
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新生洞
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水中洞
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膜状鍾乳石(カーテン)
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天井の流紋
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<上>水没しなかった鍾乳石
<右>仙人の渕
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底なしの渕
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石柱
鬼の岩屋
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示現の渕
示現とは 仏・菩薩が衆生救済のために 種々に身を変えてこの世に現れること
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昭和タイムトリップ館内
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昭和タイムトリップ館 映画ポスターコレクション
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新三菱重工業製 シルバーピジョン・スクーター
昭和35年(1960)製造の 175ccのピーター・C−110か210ccのピーター・C−111のいずれか
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