泉山の口屋番所(上ノ番所)から 岩谷川内・眼鏡橋東詰の下ノ番所まで約2Kmにわたる地域である
文政11年(1828)台風襲来と同時に大火が発生し 建物のほとんどは焼失してしまったが その後の復興により
幕末から昭和までの 伝統的日本家屋と和洋折衷の洋風建築物が混在する現在の街並みが形成された
平成3年(1991)4月30日に「有田町有田内山伝統的建造物群保存地区 」として選定された
広さ15.9haに及び 157軒を「伝統的建造物群」に 石造物やトンバイ塀の129軒を「環境物件」に指定している
裏通りにあるトンバイ塀とは 登り窯の解体時にでる耐火レンガ(トンバイ)の廃材や 窯道具 陶片などを
赤土で塗り固めて作った塀のことである 以前は 表通りの商家に対し窯元の屋敷や作業場は裏通りにあり
それらを高いトンバイ塀で囲み 絵付けや焼成の技法を覗き見られることを防いだとされている
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北側の●が口屋番所(上ノ番所)跡 南側の●が下ノ番所跡
今回歩いたのは 陶山神社に車を停めて トンバイ塀の裏道と大樽町から赤絵町に至る約700mの
通称「皿山通り」と呼ばれる 古い街並みを凝縮した味わい深い区間である
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皿山通りは 陶山神社の参道と黒髪山への道が交わる「札の辻」を中心にして
上に「大樽町」下に「幸平町・赤絵町」と続く 400年の歴史を刻む有田町発祥の地である
陶山神社