2016.10.20 長崎県雲仙市小浜町 小浜温泉散歩
小浜温泉は 和銅6年(713)の『肥前風土記』にも記されている古湯である
今も 高温で湯量の豊富な温泉として親しまれ 「湧出量×湯温」で求められる「放熱量」は日本一とされる
慶長19年(1614)に三河国から小浜に移住した 小浜本多家初代親能(ちかよし)が湯小屋を建てたことから
湯治場としての歴史が始まり その後嫡男の親継が庄屋職を継ぎ 三男の親次が 貞亨元年(1684)に
島原藩初代藩主の松平忠房より「湯太夫」の称号を与えられ 本多家による小浜温泉開発が本格的に始まった
明治の初め頃までは 温泉の湧く浜辺に小屋掛けにして 男女混浴の露天風呂が並べられ
宿は石垣組の護岸壁の上に張り出すように建ち並び 裏の崖下に一本の細道が通っていた
明治28年(1895)に 本多家九代目当主の本多西男氏が自費で埋め立て工事を行い
交通網の整備をして現在に繋る小浜の基礎を築いた
また 同氏は「湯せんぺい」や「小浜焼」などの
名産品の開発にも力を注いだと伝わる
埋立工事によって新たに約5000坪の土地が出来
満潮時に利用できなかった温泉を常時利用できるようにした
同年には 小浜から雲仙に至る登山車道の建設が始まり 大正元年には乗合自動車の営業運行が始まった
明治26年に発行された『温泉案内記』によれば 明治時代初頭から中期に至る小浜温泉への交通は
小浜と長崎茂木港を結ぶ海路が一般的で 午前に小浜を出港し 千々石・唐比・有喜・網場の各港を経て
長崎茂木港に至る汽船が就航し所要時間は約4時間であった 復路は茂木港を午後に出港し各港を経て
小浜に入港していた また 熊本方面からは島原港を経て陸路で小浜に到達する方法が取られていた
この茂木−小浜航路は昭和6年(1931)に廃止されるまで続いたが
明治31年(1898)に九州鉄道長崎線の諫早駅が開業されると 諫早村から小野・森町を経て
愛野で島原行と小浜行に分かれ 小浜へは千々石峠を越えて富津に出 小浜に至る乗合馬車が運行された
明治44年(1911)6月に 島原鉄道の本諫早−愛野村(現・愛野)駅間が開業し
大正12年(1923)5月には 温泉(うんぜん)軽便鉄道の愛野村−千々石駅間が開業された
昭和2年(1927)3月 小浜地方鉄道により千々石−肥前小浜駅間が開業されている
昭和に入ると道路の整備が進み 乗合馬車に変わり乗合自動車が投入され より陸路が便利となった
明治時代から 上海租界に住む多くの欧米人が避暑を目的として 小浜を経由して雲仙を訪れるようになった
これらの欧米客は長崎から茂木へ出て海路で小浜へと向かった その為 茂木港近くには洋食を提供する
「茂木ホテル」や「松栢楼」が建てられた 大正12年(1923)からは長崎−上海間の日華連絡船が就航している
明治時代は徒歩で雲仙に登るものは数少なく 多くの外国人は「チェア駕籠」と呼ばれる乗り物を利用した
雲仙鉄道跡を千々石の上石田から雲仙小浜駅跡まで歩き 富津入口の交差点から小浜散歩を始める





当時は 二階への階段は吹き抜けになっていて 朱塗りの手摺が付いていたと思う
昭和12年(1937)建築 木造三階建の旧本館 現在はRC造の別館が新たに建てられている







保存状態も良好で 改修工事によって「小浜コンベンションホール」となった



この炭酸泉は 高温で食塩泉の小浜温泉とは異なり 自然湧出で泉温25〜27度Cの
低温の『含硫化水素炭酸泉』(炭酸ガスと硫化水素を多く含む)
皮膚病に良く効くといわれ 明治末期から昭和初期にかけては 浴用以外にも
「サイダーに似ている」と小浜を訪れる客の飲料水として利用されていた












