2013.03.22 福岡県宗像市大島 大島(宗像大島/筑前大島)散歩
かつて大島が属した宗像郡は 大宝律令制により宗像大社の神郡として建てられた筑前国の郡(こおり)である
古くは宗形や胸形と表記され 「宗形」は代々神社の神官を努めた宗形氏の氏名(うじな)でもある
古来より宗像三座の内 中津宮が鎮座し歴代支配者の崇敬と保護を受けてきたため 戦場となることはなかった
江戸時代は 大島村が島内単独1村のまま筑前国福岡藩領として明治維新を迎えた
明治4年(1871) 廃藩置県により福岡県の管轄となり 明治22年(1889)の町村制施行により大島村となった
大島は 本土側の宗像市神湊(こうのみなと)港から北西に約6.5kmの沖合にあり
東の海上約5kmには地島(じのしま)がある 大島・地島・沖ノ島は玄界灘と響灘を分ける島で
大島の西側の海が玄界灘 地島の東側が響灘となる 県の離島の中では 最大面積であるが丘陵地が多くを占める
よって起伏は激しい 島の最高峰は中央部の御嶽(みたけ:標高224m)である
島の東側に神湊間を結ぶ大島港がありフェリーターミナルが置かれ 港の南側に大島漁港 北側に宮崎漁港がある
明治38年(1905)5月27から28日にかけて 大島沖合で帝政ロシアのバルチック艦隊との海戦があり
大島にも多くのロシア兵の遺体が流れ着き 島民らはそれを丁重に埋葬したとされる歴史がある
昭和10年(1935)から 下関要塞の大島砲台として 島の西北端に四五式十五糎カノン砲が4門が設置され
周辺に観測所や地下弾薬庫・可搬式150cm射光機・発電所などの付随施設も作られた
現在は カノン砲の台座などの遺構が残されている
御嶽山頂には展望台と 古代の中津宮の祭祀場であった中津宮奥宮の『御嶽神社』がある
港の近くに 宗像三女神の次女・多岐津姫命を祀る宗像大社『中津宮』がある 島の北側には
祭礼を除き常時禁足及び女人禁制である宗像宮の御神体の沖ノ島と沖津宮を拝する『沖津宮遙拝所』がある
この遙拝所は江戸時代後期に建立されたものである 沖ノ島と遥拝所・中津宮・御嶽祭祀遺跡は
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として 平成29年(2017)7月に世界遺産に登録された


1.大島港 2.宗像大社中津宮 3.御嶽(みたけ)山 4.風の峠 5.牛魂之碑 6.砲台跡・観測所跡
7.風車展望所 8.神埼・馬蹄石 9.筑前大島神埼灯台 10.津和瀬の丸山 11.ホトロセ峠
旧宗像郡大島村は 平成17年(2005)3月27日 宗像市に吸収合併された 周囲:16.5km 面積:7.45平方km
最大標高:224m 本日の行程約14km 全て徒歩
<Link:宗像大島.com>




明治38年(1905)5月27−28日にかけて この海で帝政ロシアのバルチック艦隊との日本海海戦が勃発した

伝説:宗像三女神の一柱である田心姫(たごりひめ)が 馬に乗って沖ノ島へ飛び立った時にできた馬の足跡
三浦洞窟
高さ5m奥行き6mほどの洞窟には、キリシタンの弾圧が厳しかった1643年(寛永20年)に長崎から
逃げてきた異人で、日本語を話すヨハンというキリスト教の神父が隠れ住んでいたと伝えられています。

寛永20年(1643)に ポルトガル人宣教師ら10人が上陸 捕らえられ江戸に連行される








