2009.05.02  水土里(みどり)の遺産

農水省選定 水土里(みどり)の遺産を旅する
水土里とは(農水省HPより)
私たちのいのちを支える食べものを作り出すために 欠くことのできない農業水路や農地
農家の人々が暮らす豊かな自然や文化のあふれる美しい農村
これらを象徴する「水」「土」「里」を並べて「水土里(みどり)」と呼んでいる
熊本県菊陽町<鼻ぐり井手> 熊本県山都町<円形分水> 竹田市<音無井路十二号分水(円形分水)>
竹田市<白水ノ溜池堰堤・通称白水ダム> 竹田市<明治岡本井路・通称石垣井路>
その他石橋探検 熊本県:立門橋 古閑原眼鏡橋 上津久礼眼鏡橋 通潤橋 聖橋
大分県竹田市:明正井路第一拱石橋 住吉橋 若宮井路鏡水路橋 鬼田橋
詳しくは九州農業遺産と石橋巡礼を閲覧下さい
熊本県菊池郡菊陽町馬場楠(ばばぐす) 鼻ぐり井手
加藤清正により慶長13年(1608)に築造 井路の名は馬場楠井手といい 菊陽町馬場楠から
熊本市の大江渡鹿まで約13kmの灌漑用水路で 現在181haの農地を潤している
この用水路の中でも 特質すべき箇所が「鼻ぐり井手」と呼ばれる部分である
阿蘇カルデラを水源とする白川は 火山灰土壌を多く含み 土砂の堆積がひどく
特に菊陽町の曲手から辛川の間は 地上から井手底までの深さは20mにおよぶため  人力での浚渫による
井路の管理は困難を極めることが想像された 井路の開削工事にあたりその解決策として渦状水流を利用して
土砂を下流へと排出する仕組みが考えられた 「鼻ぐり」は清正独特の仕組みとして現在に引き継がれている
創建当時80箇所あった「鼻ぐり」は 自然崩落と江戸期にその仕組を理解し得なかった細川藩により
意図的に破壊され多くが失われた 現在は24箇所が残るのみとなっている
この「鼻ぐり」という珍らしい名称は 牛の鼻木・鼻輪に似ていることが由来と言われている
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<上>鼻ぐり大橋下の鼻ぐり井手
日陰になると草が生えないため 雨水などによる自然崩壊が顕著になってくる
<左>展望所から見た鼻ぐり井手

熊本県上益城郡山都町城原 通潤橋
通潤橋は  まわりを深い谷に囲まれた白糸台地に潅漑用水を送るためにつくられた水路橋で
約6km離れた笹原川から水を引き 連通管(逆サイホン)の原理を利用した通潤橋を完成させた
建設には嘉永5年(1852)12月から1年8ケ月の期間を要し 白糸台地に約100haの水田が開かれた
橋長:75.6m  巾:6.3m 橋高:20.2m 石管の長さ:126.9m
昭和35年2月 国の重要文化財に指定された
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熊本県上益城郡山都町大字小笹字笹原  笹原の円形分水
以前より用水配分をめぐって通潤橋の用水を止めるなど 野尻・笹原地区と白糸台地との間で水争いが絶えず 
通潤び笹原の両土地改良区によって 取入ロや用水路の改良工事に当り 水田の受益面積割合によって
分水を行うため 昭和31年に造られ漸く水争いは瓦解した 湧き出し口内壁の直径は1.5m
外壁内径6.3mの溢流式円筒分水工である 内壁の中心部から湧き出た水がゆるやかに盛り上り
正確な水平構造を保つ内壁上部からの水が円形の縁を伝いながら一斉に溢流し
簾状となって落ちる 外周は正確に7:3の割合で分割され 7割の水が通潤橋を経て白糸台地へ
残り3割の水が野尻・笹原地区へ分けられる 円形分水への取入ロは この地点より200m上流にある
また 旧笹原川亀磧堰はこの下方にあり町指定文化財になっている
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笹原の円形分水
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<左上>笹原円形分水サイホン口
<上>笹原堰
<左>通潤橋水路笹原頭首工
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笹原の石堰
笹原川にある石堰で 灌漑水を得るために設けられた 幅48m・流長20mのもので 裏面の石垣を
亀の甲になぞらえて「ガメ堰」と呼ぶ 矢部に残存する唯一の石堰である
大分県竹田市九重野  音無井路十二号分水(円形分水)
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頭首工から円形分水に至る約2kmの暗渠に 12箇所の窓(ズリ出しの跡)があることから 12号分水という
水源は大谷川で吐水量は毎秒0.7トン 出水孔は20ヶ所あり耕地面積に比例した水量が割り当てられる
大分県竹田市大字次倉(右岸)  白水ノ溜池堰堤
左岸は大分県竹田市荻町大字鴫田 大野川水系大野川ダム湖白水溜池
ダム型式:重力式コンクリートダム  堤高:13.9m  堤頂長:87.26m  流域面積:96.4ku
湛水面積:10ha  総貯水容量:60万トン  利用目的灌漑事業主体:富士緒井路土地改良区
施工業者:溝口組  着工年:1934年  竣工年:1938年   国の重要文化財に指定
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竹田市と緒方町を流れる富士緒井路(ふじおいろ)の水量不足を解消するために設けられた堰堤で
昭和13年(1938)3月に竣工した 越流型の重力式コンクリートダムで 表層は石造と言われる
堰堤の両端部はそれぞれの地形に応じ 右岸端部には武者返しの曲面流路を
左岸端部には階段状の流路が設けられており 水流が強まると左右の流路からの水流が
合流して中央部の水流を弱めるように考えられている 周辺地層は広く阿蘇火山性地質であり
地盤が脆弱であることから 落水時の衝撃による基部の崩壊を回避するために
曲面水路や両端の流路などが工夫された 堰堤を越えて流れる水流紋や
左右両端の流路が作り出す水流の美しさは高く評価されており
日本一美しいダムと評される なお通称は白水ダムと言われるが 日本の河川法によれば
堤高15m以上のものをダムとしているため 堤高13.9mの白水溜池堰堤は正式にはダムとは言えない
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大分県竹田市大字門田(もんでん) 明正井路第一拱石橋
国内最大規模(水路橋としては大分県内で最長)の水路用石造アーチ橋である 竣工:1919年(大正8年)
6連石造アーチ橋 橋長:78.0m 橋高:13.0m 幅員:2.8m 径間:10.7m 拱矢:3.3m 環厚:60cm
明正井路は 門田川から取水され 緒方町と清川村地域の水田498haを灌漑する水路で
その総延長は175km(幹線48km・用水路127km)に及ぶ17基の水路橋を有する大規模な灌漑施設である
江戸末期にすでに構想があったが 実際に着工されたは大正時代に入ってからで
1号・2号幹線は 1919年(大正8年)に竣工した
「明正」の名は 計画及び工事が明治時代から大正時代にわたって行われたことに由来する
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石銘盤
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大分県竹田市大字植木 明治岡本井路(通称石垣井路)
国の登録有形文化財  登録 平成8年12月20日
明治岡本井路は稲葉川に水の取り入れロを設け 本渠(線)6442m 明治支渠6850m 岡本支渠8344m
その他の支渠からなり 約693haの耕地に水を供給している 石垣井路のある明治支渠は
明治45年(1912)3月に水路が完成された 当初 石垣井路のあるこの十一号開渠部分は 箱樋であったが
大正10年代に台地の尾根上に 延長約240m 高さ3.5mから5.5mの石垣づくりにかえて通水したものである
 起伏の激しい大分県山間部につくられた長い石垣井路としては極めてめずらしいものである
平成10年3月 竹田市教育委員会
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大分県竹田市大字会々字鏡 若宮井路鏡水路橋
県道42号竹田直入線と濁淵川を跨ぐ 2連アーチ水路橋 架橋:明治42年(1909)4月
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