2016.01.09  青春18きっぷ 香川県坂出市 寿町・本町・京町あたりを散歩

5〜3万年前の旧石器時代は 瀬戸内海はまだ陸地で原野であった やがて1万年ぐらい前の新石器時代から
瀬戸内に海水が入り始め人々は島嶼部や周辺山麓に移動した 後の弥生遺跡からは 製塩土器が出土するなど
製塩が行われていたことが解る 古墳時代には坂出にも多くの古墳が作られ 古代の「クニ」が瀬戸内にも
あったことが証左されている 飛鳥時代には讃岐国府が府中(坂出市府中町)に置かれ
条里制が敷かれた 奈良時代には東隣の高松市国分寺町に讃岐国分寺・国分尼寺が建立されている

慶長8年(1603)家康が征夷大将軍となり 江戸幕府が開かれ高松藩の領地となった 同時に播州から坂出に
移住した人達が塩田を開き 洲加(須賀)や内浜に集落ができて坂出村が出来た 現在も須賀に塩釜神社がある
地名の由来は「宇多津の田尾坂(県道33号線宇多津町−坂出市の境)を上って出た場所」と言う事から
付けられたという 享保年間には坂出の古浜が完成したが後の大洪水によって塩田浜は壊滅してしまった
文政7年(1824)から高松藩の学者・久米通賢(通称:栄左衛門)の計画により
3年半の歳月をかけ「入浜式塩田」が完成した

明治30年(1897)2月に讃岐鉄道の高松−丸亀駅間が開通して坂出駅が開業し
明治36年(1903)3月には 山陽汽船商社によって岡山−高松港間・ 尾道−多度津の連絡船が就航した
その後 明治43年(1910)に鉄道院によって宇野−高松間に宇高連絡船が開業され
瀬戸大橋の開通後も平成3年(1991)まで81年間続いた

昭和17年(1942)に坂出市となったが 地域産業であった製塩業は 大戦後には流下式塩田にかわり
昭和47年(1972)にはイオン交換膜製塩法となって 江戸時代から続いた塩田は終焉をむかえる
昭和63年(1988)4月10日に瀬戸大橋が竣工し 瀬戸中央自動車道が開通 本州と陸続きとなった
同時にJR瀬戸大橋線が全通し 平成4年(1992)には四国横断自動車道が全面開通した

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10:24 寛政元年(1789)創業の鎌田(かまだ)醤油
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10:25 香風園
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香風園の由来(抜粋)
鎌田家別邸として 明治41年(1908)から三年をかけ築庭された
南方にそびえる飯野山(讃岐富士)・笠山・角山などを借景とし 西に池泉回遊式の日本庭園 東に芝生広場を
中心とした洋風庭園を配置している 往時の日本庭園は 変化に富む汀線を持つ池に大きく中島を配し
汀の石組は荒磯の景に見立てつつ 中島に架かる橋は庭園のどの位置からも実に優美な姿を見せるなど
多くの名庭園を凌ぐものであった 築山と外周域には黒松とウバメガシが自然の形で植栽されて木々の間には
雄大な滝が落ちていたという 昭和30年(1955)鎌田家より坂出市に譲渡され公園として市民に開放された
平成元年(1989)JR予讃線の高架事業により 園の南側が道路敷地となって往時の姿は一度消えてしまった
平成11年(1999)より修復工事に取りかかり二年の歳月を費やして 可能な限り築庭当時の姿に復元整備された
残念ながら借景とされた讃岐富士を含む山々は JRの高架橋に遮られて庭から見ることが出来ない

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入園無料 当日は花嫁写真の撮影が行われていたのでカメラアングルに入らないよう少し遠慮した
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JR高架橋の下に垣間見る嘗ての借景「讃岐富士」
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香風園 表門 <wikipedia

鎌田共済会 郷土博物館 入館無料
公益財団法人鎌田共済会が運営する香川県の登録博物館 建物は大正11年(1922)に鎌田共済会図書館として
建設された国の登録有形文化財の建物である 鎌田共済会は 醤油製造業と酒造業を営む鎌田家の
明治から大正にかけて当主となった鎌田勝太郎が 大正7年(1918)に慈善・育英・社会教育を目的として
設立した財団法人である 大正14年(1925)開館当時の博物館は鉄道高架事業に伴い取り壊されてしまった

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登録有形文化財登録レリーフ
へんろ道道標
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大正11年(1922)に 香川県の技師富士精一監修の下 竹中工務店の設計施工で建設された
地上三階建ての鉄筋コンクリート造の建物で 外壁はモルタル塗の掻き落し仕上げと思われ 半円形の窓や
石造風の壁面 二階上部の波を打ったようなコーニスに施された半円形の装飾に特徴があり
初期の本格的鉄筋コンクリート造図書館建築としても貴重な建物で 平成10年(1998)貴重な遺構として
国の有形文化財に登録された その翌年から建物の保存修理工事が行われ平成13年(2001)4月に完成した

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階段
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高松藩に仕えた洋学者 久米通賢の展示室
久米通賢(栄左衛門・安永9年−天保12年)は 江戸時代の発明家であり 暦学・測量・洋学に秀でた人物である
伊能忠敬よりも早く 日本初の実測地図を作った人物で 讃岐では「塩田の父」などと称されている
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古いスイッチもそのまま残されている廊下
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10:44 県道19号 讃岐富士のビュースポット

坂出市郷土史料館 入館無料
この建物は大正8年(1919)に郡立綾歌商業学校が県立に昇格した際に建設されたもので 大正9年(1920)に
完成した木造建築物である 木造二階建て瓦葺き寄棟造りで 南北10.9m・東西23.66mの大きさとなっている
上下引き上げ窓など当時の建築様式をよくとどめていて 南に位置する花崗岩製の門柱も含め
近代建築の遺産として保存されている 資料館としては昭和53年(1978)11月に開館した

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安政6年(1859)のこんぴら道・道標
へんろミち・こんひら道の道標
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大正橋親柱
西大浜の中湛甫(北海岸町)に大正11年(1922)架設された橋で
旧両景橋(入船町1丁目に明治25年架橋された石造アーチ橋・昭和21年撤去)のすぐ北に架かっていた
現在のさぬき浜街道の両景橋の西南付近に位置する
この石柱は架設された当時の大正橋欄干で 西大浜区画整理事業に伴い取り外されたもの
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旧青海川の石造水門
享和3年(1803)2月建立 八軒屋の金毘羅灯籠
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本町商店街を散歩

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坂出市本町2丁目 後藤産婦人科(閉院)保存建築 大正9年(1920)に内科医院として建てられた
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旧讃岐街道の本町商店街
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本町商店街は遍路道でもある
昭和5年(1930)竣工 旧百十四銀行 坂出支店 現在はATMコーナーのみ使用
鉄筋コンクリート2階建て陸屋根造 化粧タイル貼
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本町通り商店街 鎌田醤油 登録有形文化財
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アーケードの垂れ幕が邪魔をして瓦が見えない
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鎌田醤油 讃岐醤油画史料館
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昼食 本日のサービスメニュー 天ぷらうどん370円
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染と織 濱田屋
みつばの大判焼 あんこたっぷり 美味しいよ
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サンロード港町商店街 創業50年の「大判焼のみつば」
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老舗の駄菓子屋 マスダ商店 以上約1時間半の足早散歩であった
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坂出12時24分発 マリンライナー30号で瀬戸大橋を渡り九州めざして帰る
普通列車を乗り継いで下関到着 20:19 着 自宅に 23:00 到着
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