2008.08.30−31 四国室戸岬と四万十源流の旅

8月13日−14日 大阪への往路
国道九四フェリーの最終便で大分佐賀関港から三崎港へ 松山道・徳島道で四国を横断して
徳島港から再度の船旅 南海フェリーの早朝第三便で和歌山へ渡る

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8月14日 4:50 早朝の徳島港 フェリーつるぎ 2604トン
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到着後 車両の下船作業
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5:17 フェリー乗り場から徳島のシンボル標高290mの眉山(びざん)を見る 今日は阿波踊り二日目
8月30日 九州への復路
明石海峡大橋から淡路島を経て大鳴門橋で四国へ渡る 往路復路共 鳴門海峡は雨
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8月30日 7:37 明石海峡大橋は雨
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8:56 大鳴門橋も雨

8月30日 徳島県立 渦の道
鳴門海峡・大鳴門橋の橋桁内部に設置された延長約450mの遊歩道および展望台で 2000年4月に開設された
鳴門公園の一部で大毛島の北端にある大鳴門橋の徳島県側アンカーブロックの上部が入場口となり
遊歩道の終端は展望台となっていて 渦潮が発生する真上で 一部のガラス張り床から観察することができる
本来 橋桁下部空間は鉄道敷設が可能な構造として建設されたが 明石海峡大橋が鉄道敷設が不可能な構造で
架橋されたためこの計画は実行されなかった この鉄道用の空間を利用して徳島県によって遊歩道が作られた
海面からの高さは約45mあり また遊歩道の床も数ヶ所ガラス張りになっている
渦の道入り口へは 鳴門北ICから徳島県道11号鳴門公園線で 淡路方面へ3.5km程度戻る必要がある
鳴門海峡は国の名勝に指定されており 一説では 鳴門とは「鳴り響く狭い戸」に由来するとされている

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大鳴門橋 「渦の道」入り口
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約400mの遊歩道は 風への抵抗が悪影響を及ぼさないようにするため 左右の外壁のほとんどが
金網となっており 風と雨がそのまま吹き込んでくる 強風の場合は閉鎖となる場合もある
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橋の構造を裏からたっぷりと見られるのも楽しい
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満干時間ではないが 潮の流れは速い
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鳴門観光汽船の観潮船 残念ながら満干時間ではないので渦の発生は無い
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床を通して渦潮が見られる
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9:20 展望所
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千鳥ケ浜海岸から大鳴門橋

8月30日 室戸岬へ
大鳴門橋をあとに県道11号線と国道28号線で徳島へ そして 今回の目的地室戸岬をめざしてひた走る
遍路道でもあり お遍路さんを見かける 歩いているのは若い人が多いが 夏休みの大学生だろうか
天気は相変わらず悪い

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日和佐から県道147号南阿波サンラインへ 12:10 徳島県海部郡美波町山河内明丸 明丸海岸
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 第三展望台から 崖を縫うように道は続く
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道路も設備も疲れくたびれている
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12:45 徳島県海陽町浅川八坂八浜 大砂海岸(海水浴場)
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13:16 高知県東洋町野根の国道55号線 海岸線の道は遠く室戸へと続く 雨のち曇天
高知に入って約10km 津波が来れば逃げ場は無い
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13:40 高知県室戸市佐喜浜町 夫婦岩
14:10 高知県室戸市室戸岬町 室戸岬
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室戸岬灯台(むろとざきとうだい) 水平線の彼方に何も見えず 地球は丸い
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高知県室戸市室戸岬町 室戸岬灯台
室戸岬の南端・標高150mの台地に立つ白亜の鉄製灯台 周辺は 室戸阿南海岸国定公園に指定される
日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた第1等灯台で
光達距離26.5海里(約49km)は日本一である 明治32年(1899)に鉄製灯台として初点灯され
現在も白一色に塗装され原形を保つ 建設当初は石油ランプであったが 大正6年(1917)に電灯化された
その歴史的価値から海上保安庁によってAランクの保存灯台にも指定されている
背後に 四国八十八箇所霊場の第二十四番札所・最真言宗豊山派の御崎寺(ほつみさきじ)と
遍路宿の室戸岬最御崎寺遍路センターがある
高知県室戸市室戸岬町 室戸山 明星院 最御崎寺
室戸岬には 二十四番最御崎寺・二十五番津照寺・二十六番金剛頂寺がある
二十六番札所の金剛頂寺を西寺と呼ぶのに対し 最御崎寺を東寺(ひがしでら)と呼ぶ
寺号にある「ほつみさき」は「火つ岬」の語意で 古代に狼煙台があったことを偲ばせ灯台にもふさわしい
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14:35 室戸スカイラインから高知市方向の室津漁港を望む
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15:50 高知県安芸市土居 野良時計
明治20年頃に大地主だった畠中源馬が 10歳の頃に父に買ってもらった米国製の八角時計を分解組立を繰り返し
時計の構造を理解してすべての部品を手作りして作りあげた 当時 時計は高価で殆どの人が持っておらず
周囲の田園で農作業に従事する人々が時を知るのに役立っていた 時計は北側正面と東側・西側の3面にあり
当初は3面同時に動いていたと伝わるが 後は正面のみが可動していた
平成8年(1996)に畠中家住宅として国の登録有形文化財となった 作製後120余年可動していたが
源馬の孫にあたる畠中秀雄が平成16年(2004)に死去し管理者不在で時計が静止した
翌年 遺族の手にり再稼働され 現在は観光シーズンやイベント時などに 所有者のご協力を得て動かしている
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16:55 国道56号線・高知市県庁前交差点東 土佐電気鉄道 県庁前停留所付近 車窓風景
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16:58 土佐電気鉄道(撮影当時)伊野線の路面電車 上町二丁目停留所
2014年10月1日 高知県・高知市および沿線市町村による公的企業「とさでん交通」として再スタート
今日は 高知市の西外れ伊野町にある「かんぽの宿伊野」に投宿 ここから約12km・30分の道程
8月31日 四万十川源流
「かんぽの宿伊野」の建物は 仁淀川河畔にあり全室から仁淀川を見ることが出来る
その後 赤字を理由に日本郵政から亀の井ホテルへ売却され 2022年7月に「亀の井ホテル高知」に改称された
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6:00 JR土讃線仁淀川鉄橋
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JR伊野駅と仁淀川鉄橋を渡る窪川行始発列車
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7:00 伊野町の朝は晴れ間も出て 鮎釣りの人も仁淀川に入る
伊野町をあとに佐川町を経て須崎市から津野町へ 朝の晴れ間は何だったのか 天気は相変わらず悪い
高知県高岡郡佐川町甲 ナウマンカルスト公園
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日本地質学の創始者といわれるエドモンド・ナウマン博士の 来町100周年記念に造営された
ナウマン博士は 明治時代から佐川町とその周辺の地域を訪れ 数回にわたる調査で古生代から
中生代にわたる地層が分布する佐川町を 地球の生い立ちを探るうえで重要な場所として世界に紹介した
巨大なナウマン象は 京都帝国大学の槇山次郎が日本固有の原始小型象を新種登録する際に
ナウマン博士にちなんで「ナウマンゾウ」と命名したことから設置されている ナウマンゾウの化石がここで
採取されているわけでないので 少し紛らわしいオブジェである
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この季節は 石灰石が夏草で覆われ 残念ながらカルスト地形が顕とならず
国道197号線の津野町船戸で四万十源流の案内版を見て右折 またまた山岳地へと入り込む
ダートになって大事を取り ロードスターを放棄して山歩き 途中から雨がひどくなり「びしょ濡れ」
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やっとたどり着いた四万十川源流入口 ここからまだ徒歩25分
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11:03 高知県高岡郡津野町船戸 四万十川の支流渡川の源流 雨が降る
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11:37 高知県津野町船戸 中村地区 四万十川源流の里
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歴史街道・龍馬脱藩の道から 檮原千枚田 下は国道197号線の風早トンネル
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12:05 檮原千枚田展望所 降りしきる雨のため旅気分は終わり あとは九州めざし 走る走る……
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