2023.04.13 福岡県八女市本町 鉄道記念公園の藤棚

八女市の鉄道記念公園は 昭和60年(1985)に全線廃止となった国鉄矢部線の筑後福島駅跡に出来た記念公園で
線路跡は市道となり 市内部分が「バルビゾンの道」という愛称で呼ばれている 道路の正式名は不明である

国鉄矢部線は 鹿児島本線羽犬塚駅より分岐し 八女・黒木・矢部・鯛生・小国を経て久大本線豊後森駅に繋ぐ
壮大な延伸計画に基づき 大正11年(1922)の「改正鉄道敷設法第111号ノ2」により規定された
「福岡県羽犬塚ヨリ矢部ニ至ル鉄道」として着工された路線である 昭和11年(1936)に起工され
羽犬塚から黒木までが 太平洋戦争敗戦後わずか四ヶ月で開通し 昭和20年(1945)12月に開業した
しかし 黒木より先への延伸は成らず 豊後森駅から小国まで通じていた宮原線と同様廃止となった

「バルビゾン」とは フランスへ渡った坂本繁二郎画伯が 帰国後は八女に晩年を過ごし
筑後福島駅近くにアトリエと居を構えた フランス留学の際に ミレーやコロー及びルソーといった著名な画家を
多く輩出したバルビゾン村を訪れており深い感銘を受け また その風情と八女の風土が似ることから
「東洋のバルビゾン」と呼び 八女をこよなく愛していたことが由来となっている

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長さ約450mの歩道に架かる藤棚 フレームは旧矢部線のレールを流用している
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万葉集には 長歌二首を含め二十六首の藤の花を詠んだ歌がある
藤波の 花は盛りになりにけり 平城の京(ならのみやこ)を 思ほすや君     大伴四綱
恋しけば 形見にせむと 我がやどに 植ゑし藤波 今咲きにけり         山部赤人
我が宿の 時じき藤の めづらしく 今も見てしか 妹が笑まひを         大伴家持
藤波の 咲く春の野に 延ふ葛の 下よし恋ひば 久しくもあらむ         作者不詳
霍公鳥 来鳴き響(とよ)もす 岡辺(おかへ)なる 藤波見には 君は来じとや  作者不詳
大君の 塩(しほ)焼く海人の 藤衣 なれはすれども いやめづらしも      作者不詳
かくしてぞ 人は死ぬといふ 藤波の ただ一目のみ 見し人ゆゑに        作者不詳
春へ咲く 藤の末葉(うらは)の うら安に さ寝る夜ぞなき 子ろをし思へば   作者不詳
多胡の浦の 底さへにほふ 藤波を かざして行かむ 見ぬ人のため       内蔵縄麻呂
恋慕の心情を表す歌が多い 花言葉は「至福のとき」や「恋に酔う」「優しさ」「歓迎」もある
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2023.04.17 大分県大分市寒田(そうだ) 西寒多神社の藤

江戸時代の『豊後国志 巻之四 大分郡志』によれば 西寒多神社(ささむたじんじゃ)の創建は
神功皇后が三韓征伐より凱旋の折 西寒多山(本宮山)に行幸し その証として山頂に白旗を立てた
人々はこれを敬い玉垣を結び結界とした 応神天皇9年に 武内宿禰が西寒多山上に祠を建てたのが始まりである

貞観12年(870)からは従五位下の神階となり 延喜5年(905)の延喜式神名帳では 豊後唯一の式内大社とされ
豊後国一宮として崇敬されたが 平安時代後期には熊野信仰や密教信仰に押され衰退した
中世・鎌倉時代以降は 守護大名の大友氏の崇敬を受け復興 応永15年(1408)第10代・大友親世によって
社殿が山麓の現在地に遷された その後も領主大名の崇敬厚く 明治4年(1871)には国幣中社に列格した
第二次大戦後は 神格廃止を受け神社本庁の特別の扱いとなる別表神社となった

国指定天然記念物および大分市指定名木のフジ 樹齢450年超 樹高3.5m 幹周2.8m
伝承によれば このフジは氏子が社殿に供える御酒の酒造所を建てる時に植えたと伝えられている

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8:44 本宮山登山前のフジ
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万年橋の上から
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萬年橋と藤棚
萬年橋は 寒田川(みそぎ川)に架かる石造アーチ橋である 頂部では輪石が路面となっているのが特徴である
架橋は 延岡藩領・寒田村の庄屋らが発起し 岡藩領大野郡柴北村の石工・二代目後藤郷兵衛ら20名によって
幕末期の文久2年(1862)に竣工した 昭和55年(1980)に大分県の有形文化財に指定された
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藤(フジ) 学名:Wisteria floribunda
マメ科フジ属のつる性落葉木で 日本に自生する野田藤(藤)と山藤(野藤)の二種が日本固有種である
上から見て時計回りの右巻きつるが野田藤 左巻きが山藤である フジ属には 他に中国渡来のシナフジや
園芸種のシロバナフジ・ヤエフジ・ノダハナフジ・アカバナフジなどがある。
野田藤(一般名=フジ)は かつて鎌倉時代から淀川を行き交う人々の目を奪った藤の群生地の名に由来する
群生地は 現在の大阪市福島区野田あって江戸時代にはすでに「野田藤」の名称があった
後に 植物学者の牧野富太郎が現地調査して分類名として採用したが 野田の藤は開発等によって消滅した

2023.04.21 フジの花巡り

今年は 「桜の花」の開花以降 季節の遷り変りが加速度を増し 久留米ツツジ・フジ・シャクナゲの開花が早く
花・場所によっては 日数にして約3週間ほど早く満開を迎えた所もある ネットに上げられる開花情報が追いつかず
以下に掲載するフジの名所は 残念ながら壊滅的であった 来年には綿密な情報チェックをしてリベンジしてみたい

福岡県朝倉郡筑前町上高場字中園 藤の里公園 筑前町指定天然記念物「上高場の大藤」
樹齢百数十年とされ 根回り3m 藤棚面積300平方m 花房の長さ1.2m の大藤
明治22年(1889)に上高場の河原久次郎邸より当地・上高場太神宮境内に移植されたものである

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太神宮鳥居と神殿
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今年はツツジが綺麗 当り年かも知れない
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若葉に覆われたフジも美しい

福岡県小郡市福童 大中臣神社の将軍藤
この藤は根元周囲3m 胸高周囲2mで 地上1.7mから幹が分岐し高さ2mの棚の上に枝が広がり
その被覆面積は204平方mに及ぶ 樹勢は旺盛で 樹齢は約660年と推定される
正平14年(1359) 南朝の征西将軍宮懐良親王・菊池武光と北朝の少弐頼尚の両軍が激突した大保原合戦で
懐良親王が手傷を負った際に その快癒を祈って大中臣神社に祈祷したところ その加護で全快したことに謝し
この藤を奉納したと伝えられている 大藤は福岡県指定天然記念物に指定され 藤棚の面積は500平方mある
小郡市観光協会のホームページには 「近年、藤の開花が早く、GW頃には藤の開花が終わりを迎えています。
お早めにお越しください。」とあるが 21日時点で9割以上の花が散っていた

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大中臣神社(おおなかおみじんじゃ)
創建期は不明ながら 平安時代の斎衡3年(856)の『筑後国神明帳』「西福童大中臣神」の神名が記載されており
1100年以上前には 既に当神社が存在していた証とされている
小郡市の文化財に指定される楼門は 天保6年(1835)甘木の藤次郎を棟梁として再建され 同年12月に上棟した
拝殿の扁額には 住吉大明神・大中臣大明神・春日大明神とあり 明治の神仏分離令の明神信仰の禁止により
主祭神を 藤原氏(中臣氏)の祖神である天児屋根命(あまのこやねのみこと)とした
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若葉が茂り花も終焉の時期 足元には枯れた花弁が散っている
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季節が早く進み クマバチも密集めが大変そう
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佐賀県鳥栖市真木町 真木天満神社の大藤
「真木の大藤」と呼ばれる樹齢約120年のフジ 葉張りは約270平方m
佐賀県及び鳥栖市の名木・古木に登録されているこの藤は、地域のシンボル的な存在である

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万葉集 春日野の 藤は散りにて 何をかも み狩の人の 折りてかざさむ  作者不詳
意:春日野の藤は散ってしまって 何の花を狩りの人は折って髪を飾るのでしょう
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藤棚を支える石柱に「大正十四年3月」の刻文字
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境内の大楠
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真木天満宮の肥前鳥居
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