2023.03.28 山口県岩国市横山 さくら名所100選・吉香(きっこう)公園の桜散歩

吉香公園は 明治18年(1885)に旧藩主の氏神である吉香神社が現在地へ遷されたのを機に 境内及び付属地を
公園として整えたのが始まりである 昭和43年(1968)山口県立岩国高等学校の跡地を公園用地として組み入れ
同年に都市計画総合公園の指定を受け現在に至る
  明治時代から桜が植えられ 公園整備とともに本数が増え 1990年に「さくら名所100選」に選定された
吉香公園には 紅葉谷公園や岩国城阯のある横山や山麓一帯も含まれる

前日の夕刻に自宅を出発 佐波川SAで夕食休憩 富海PAに移動して車中泊
富海PAを 5:30 出発 横山河川敷駐車場には 6:30 に到着した

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P.横山河川敷運動広場無料駐車場 1.錦帯橋 2.岩国市観光交流所「本家 松がね」 3.岩国学校教育資料館
4.椎尾八幡宮 5.川西の桜トンネル 6.水西書院 7.岩国城 8.目加田家住宅
9.吉川家墓所 10.永興寺しだれ桜 11.六角亭 12.吉香神社 13.錦雲閣 14.岩国石人形資料館

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6:30 ガラ空きの無料パーキング 午前9時頃には満車となり 臨時駐車場と対岸の河原駐車場に誘導される
臨時・河原ともに300円/一回の駐車料金が徴収される
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7:40 城下町の散策を開始
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ロープウェイ駅へ続く大手筋から現在の岩国城
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藩庁の御土居に渡る城門橋として架けられた錦帯橋
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横山河川敷公園
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錦川右岸の河川敷公園

城下町を散策後 下流右岸域にある「川西の桜トンネル」に行く

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県道112号線・臥龍橋から見る川西の桜並木
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県道112号線・臥龍橋と横山々頂の岩国城
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JR岩徳線・錦川橋梁 錦川鉄道株式会社の錦川清流線も乗入れ
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城下町散策後 再び錦帯橋をわたり横山河川敷公園から岩国城・吉香公園を散歩

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錦帯橋の上から河川敷の桜
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永興寺 紅しだれ桜
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吉香公園のソメイヨシノ
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吉香神社鳥居
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錦雲閣から見る堀端の桜
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岩国最古のソメイヨシノ 明治19年(1886)植樹 全国屈指の古桜
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岩国徴古館 昭和20年(1945)3月に竣工 戦時中なので竹筋コンクリート造りとなった
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横山河川敷公園
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13:23 朝の静けさが嘘のよう  13:30 帰途につく自宅まで4時間

2023.03.28 山口県岩国市 岩国城と城下町散歩

古代の岩国は 岩国山南麓に弥生時代の遺跡が2ヶ所および古墳時代の遺跡が1ヶ所と大化前代の遺跡は数少なく
山陽道の整備が進む律令時代になって居住者が増えたと思われる 現在の関戸あたりに石国駅が置かれ
馬20匹が常備された しかし現況に近い錦川下流域の発展は中世期以降となった 律令制によって周防国には
大島・熊毛・都濃・佐波および吉敷の5郡が設立され 養老5年(721)に熊毛郡から玖珂郡が分立して6郡となった
玖珂郡は安芸国に接する東端に位置し 尚且つその最東端に石国郷があった
現存史料による「石国庄」の初見は 鎌倉初期の正治2年(1200)である
同時期に 小瀬川左岸の木野に安芸御領関所が 右岸の関ヶ浜に周防御領関所が設けられた
錦川と小瀬川は ともに林産資源の河川通運に利用され 特に国境にある小瀬川は両国諍いの元となったが
石国庄は 錦川の河川通運と山陽道の陸運が交差する要衝として 発展したことに違いはない

平安時代には 信濃から下向した平氏家人の石国氏が玖珂郡の領主となったが 平氏滅亡に伴い衰退した
石国氏が有した最大領地は 玖珂郡石国郷に拠点を置き 大島・熊毛・都濃の3郡に及ぶ広大なものであった
鎌倉時代に入り守護大内氏の所領となり 代官として大内氏配下の弘中氏が岩国を統治した
弘治元年(1555)に 毛利氏の攻撃によって弘中氏の所領が奪われ 弘治3年(1557)には大内氏が滅亡した
周防・長門国を支配下に収めた毛利氏は 玖珂郡に郡司を置き 岩国には譜代家臣を代官として赴任させた
関ケ原合戦後は 吉川広家が岩国の領主として着任し 横山々頂に築城が開始され 麓には居館の御土居が築かれた
翌慶長7年(1602)に御土居が完成 横山城は 慶長13年(1608)に竣工 築城には8年の歳月が費やされた
しかし 完成からわずか7年後の元和元年(1615年)に一国一城令により廃城となり 御土居が陣屋として残された
吉川広家は毛利の分家筋で 毛利元就の次男吉川元春の次男であり 長男元長没後に吉川家当主となった
岩国領は実質的に長州藩の支藩とみなされていたが 江戸期を通じて長州藩による支藩届けは出されなかった
しかし 吉川広家は 豊臣秀吉や徳川家康に寵遇された経緯があり 幕府から 当初は築城の許可も与えられ
参勤交代の義務も伴う3万石の外様大名格として扱われた 正式に岩国藩として認められたのは
明治新政府によるもので 大政奉還後の慶応4年(1868)3月のことであった

廃藩置県で 藩領の1町83村が岩国県となったが 間もなく山口県に統合された
明治8年(1875)岩国城下(町)が改称して岩国町となった 明治12年(1879)行政区画としての玖珂郡が発足
明治38年(1905)岩国町と横山村が合併し 第2次・岩国町が発足
昭和15年(1940)岩国・麻里布の2町と川下・愛宕・灘の3村が合併して岩国市が発足
平成18年(2006)由宇・玖珂・周東・錦・美川・美和の6町と本郷村が岩国市と合併 第2次・岩国市が発足した


錦帯橋
初代錦帯橋は 延宝元年(1673)長州藩周防国岩国領3代領主の吉川広嘉によって建造された
しかし 翌年に洪水によって石積橋台が損壊し落橋 橋台及び敷石を強化し再建を図った その後 昭和期まで
約250年間流失することなく 定期的に架け替え工事が行われた 橋は岩国藩が「大橋」という名で管理し
掛替え・補修費用捻出のため武士から農民まで 身分階級を問わず「橋出米」という税が徴収された
ただ橋を渡れるのは 武家や御用商人に限られ 一般庶民が渡れるようになったのは明治以降である

錦帯橋の名は 安永年間(1772~1780)に愛称として広まったとされ 公式名称になったのも明治以降である

昭和25年(1950)9月13日 岩国市を襲った「キジア台風」によって橋台が崩壊しアーチ部分が全て流失した
昭和27年(1952)12月26日 原型のまま再架橋する工事が竣工 翌年1月15日に渡り初めが行われた

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現橋は 5ヶ所の木橋全てが架替られる「平成の架替」が3年間行われ 平成13年(2001)に竣工したものである
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本町筋
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岩国市観光交流所「本家 松がね」
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「本家 松がね」室内
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堤防に沿った一段高い通りは「土手町」
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土手町から材木町・魚町・登富町通り
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城下町寺子屋とは民営のカルチャー教室
塔屋がある文具屋の勉強堂
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善教寺小路 岩国練武場通用門
岩国練武場正門
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旧陸軍元帥・長谷川好道邸宅跡の岩国練武場 昭和2年(1927)建築 登録有形文化財


岩国学校教育資料館
岩国学校は 廃藩置県前の明治3年(1870)12月に 岩国藩主・吉川経健が「岩国藩学校条例」を発布し
翌明治4年1月に学制を定め 同年2月2日に開校された 校舎は2階を教員詰所等 1階を教室にした二階建であった
政府による学制発布の明治5年には 三階として鋼板葺 鎧戸付アーチ窓 漆喰壁造りの洋風塔屋を増築し
校名を「錦見小学校」と改称した その後 児童数の増加に伴い音楽室や保健室などに転用された
岩国町立岩国小学校となり 明治40年(1907)の校舎改築時に 保存のため現在地に移築された
昭和44年(1969)県指定文化財となり 修復を施した後 昭和47年(1972)から教育資料館として公開された

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歩道橋から撮影
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元祖 岩国寿司の宿 三原家
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元祖 岩国寿司の宿 三原家
山口銀行 錦帯橋支店
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山口銀行 錦帯橋支店
旧漢字の似合う細田寫眞場

岩国鎮護社 椎尾八幡宮
始祖・吉川経義が 平安末期の文治2年(1186)領地である駿河有度郡吉河邑に 鎌倉の鶴岡八幡宮を氏神として
勧請したしたのが始まり 吉川家の移動に伴い遷宮を繰り返したが 寛永3年(1626)岩国二代領首・吉川廣正が
太古より猿田彦神を祀る椎尾社のあった現在地に鎮座させ 猿田彦神を合祀して椎尾八幡宮と名付けた

主祭神 誉田別命(応神天皇)・足仲彦命(仲哀天皇)・息長帯比売命(神功皇后) 配神 猿田彦神

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途中にある稲荷社の幟が目立つ
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家並みの背後に川西の桜並木
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城下町から城を見上げる
横山城の旧天守閣は 元和元年(1615)に幕府の一国一城令により破却された 昭和37年(1962)史料絵図の
天守構造図を参考に 麓からの見栄えを重視し 本来の天守台から約30m南にRC構造によって天守閣が建てられた
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景観配慮の瓦葺き セブン-イレブン錦帯橋店
同じくディスカウントドラッグ・コスモス錦帯橋店
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臥龍橋から吉香公園の桜と錦帯橋

山口県岩国市川西4丁目 水西書院
明治19年(1886)旧岩国藩主・吉川家の仮住居として建てられた木造2階建・寄棟造・桟瓦葺の建物
第二次大戦後に岩国市の所有となった 現在は集会所などとして利用されている

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水西書院全景
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岩国石人形
昆虫であるニンギョウトビケラ(人形飛螻蛄)の幼虫が 蛹化するための巣作りによって作り出される自然の造形物
この蛹巣を人形に見立てた岩国石人形が 昆虫名の由来ともなった
上の写真は ニンギョウトビケラによって自然に岩や竹に着けられた物で 人間の手が加えられた造形物ではない
七福神や地蔵に見立てられ御守となった 錦帯橋の土産物として江戸時代の頃から広く知られるようになった
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吉香公園 岩国藩陣屋跡
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岩国城ロープウェイ
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東側の石垣下の遊歩道を歩く 現在の天守閣
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昭和37年(1962)再建されたRC構造の天守閣
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吉香公園と城下町
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旧天守台 江戸時代初期の穴太積み石垣を再現
穴太積みによって復元された旧天守台
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旧岩国市街地と瀬戸内海安芸灘
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(旧)目加田家住宅 18世紀中頃の建築
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吉川家墓所 納骨堂
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永興寺のカイヅカイブキ
六角亭 長谷川好道元帥が朝鮮から送った物
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吉香公園
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吉香神社
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褒忠社 噴水の有る池
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錦雲閣 明治18年(1885)吉香神社の絵馬堂として建てられたもの
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