2019.05.12 道の駅笠岡のポピー畑と石の宝殿

岡山県笠岡市カブト南町 道の駅・笠岡ベイファームのポピー畑
朝食をとるため前夜から車中泊していた「道の駅 みはら神明の里」から「道の駅 笠岡ベイファーム」へ移動
食事の準備中に早朝のポピー畑を散歩する
国道2号線笠岡バイパス予定地に隣接して平成23年(2011)に新設された道の駅であるが
バイパスは現在も側道部分のみ3.3kmの暫定開通となっており 幹線道路から遠く離れているため
ドライバーの休憩所としての利用は少なく 集客のため 春の菜の花 初夏のポピー 夏のヒマワリ
秋のコスモスなど四季に渡り花が植えられている
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ポピー
英名:poppy 学名:Papaver ケシ科ケシ属の総称である
学名の<Papaver>はラテン語で その由来については 1.古代アッシリア語でのケシの乳液の呼び名である
2.ラテン語で粥の意味 3.種子を頬張るときにする音など様々な説がある
ヨーロッパ・アジア・アメリカなどに約60種が分布し アヘン採取のケシをはじめ 園芸栽培種としては
ヒナゲシやアイスランドポピー・シベリアヒナゲシ・ケシ・オニゲシなどが含まれる
このうち日本で最も多く栽培されるアイスランドポピーは 切り花として冬から早春にかけて大量に流通し
日本で単にポピーと呼ぶときは本種をさすことが多い
ユーラシア・アフリカ・北米大陸の 寒帯から温帯にかけて自生する一年生 または多年生の植物であるが
種のほとんどは旧大陸産で 新大陸の北アメリカに自生する種はごく僅かである
どの種も果実に傷をつけると白い乳液を流し 液に薬用として有用なアルカロイドを含む
アルカロイドの一種であるモルヒネを含むのは ケシとアツミゲシの2種で
あへん法規制対象として栽培が厳しく規制されている
しかし日本で麻薬及び向精神薬取締法の規制対象種となるハカマオニゲシは 海外では園芸種とされている
花色は白・真紅・黄・藤色など種々様々で 花弁数も一般に4枚であるが 中には5弁・6弁の種が存在する
その他  野生種はどれも一重咲きだが 品種改造の園芸種には八重咲きのものもある
芥子坊主と呼ばれる果実が熟し乾燥すると 中に細かな種がぎっしり詰まっていて 坊主頭の頭頂回りに
窓状の割れ目が開き風で揺られるたびに種を撒き散らす 痩せ土を好み土壌が生育に適した状態になるまで
休眠することができ24年間休眠した例もあったとされるが 発芽生育後は植え替えを嫌い移植すると枯れる
ケシ属は栽培植物としての歴史が古く 既に紀元前5000年にはメソポタミアで栽培され
古代エジプトの王墓からも発見されている ギリシャ神話の農耕女神デメテルの象徴で
古代からモルヒネの鎮痛・鎮静作用が知られていたと思われる その後ヨーロッパで自生種が広がり
栽培が簡単で大きな花を咲かせることから園芸植物となり品種改良も進んだ
元々日本に自生していたのは 北海道利尻島の利尻岳山頂付近に自生するリシリヒナゲシのみであったが
薬草として 桃山時代から江戸時代初期にかけての交易で東南アジアからケシがもたらされ
鎮痛剤用として厳重管理のもと栽培されてきた経緯があり 現在に至るまでその姿勢は不変である
その他の園芸種も江戸時代に伝わったとされている
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干拓によって陸続きとなった神島(こうのしま)の竜王山(267m)と栂丸山(つがのまるやま・306m)
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笠岡ベイファームを午前7時45分出発 次の目的地は「石の宝殿」
岡山県浅口市寄島町 三ツ山(三郎島)に寄り道
かつて寄島は沖合850mにある離島であったが 昭和40年(1965)ごろに始まる干拓によって陸続きとなった
寄島の名は 神功皇后が三韓征伐から帰還の折 島に寄り~を祀ったとされることに由来する
寄島が村の名となった後は 神功皇后が立ち寄った元々の島を『三郎島』と呼びはじめた
三郎島は粗粒花こう岩からなる島で 標高10m 島の長さは15mあり 三つの山が約6m間隔で規則正しく並び
その形状から 神功皇后がお供えした「おむすび」が転がり島になったという伝説が残されている
別名「三ツ山」とも呼ばれ この小島を仲哀天皇・應神天皇・神功皇后の変り身として祀ったとされる
また16世紀半ばには 富士権現の祠が祀られたが 明治40年(1907)の大津波によって消失した
他に 中央の島を天照大神 手前の島を素盞嗚尊 沖側の島を杵島姫命になぞらえて祀り
その後 明治12年(1879)に三ツ山から現在の坦(なる)に遷され嚴島神社になったとされる
明治の始め頃 嚴島神社の祭礼には お召し船が三ツ山を左廻りに三回まわる神事があったとされる
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国土地理院 昭和44年4月28日の空中写真 潮受け堤防が完成している
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刺し網漁
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三ツ山(三郎島)
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寄島園地
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倉敷市・水島コンビナート遠望
兵庫県高砂市阿弥陀町生石 生石神社・石乃寶殿
石の宝殿とは 人工的な巨石が残る遺跡に付けられた名称を指す
兵庫県の高砂市と六甲山 大阪府の寝屋川市と金剛山・葛城山それぞれの五ヶ所にあり
最も有名なのは 兵庫県高砂市の生石神社(おうしこじんじゃ)の御神体である
別名に鎮の石室(しずのいわや)・天の浮石(あめのうきいし)または単に浮石とも呼ばれる
その大きさは 幅6.4m・高さ5.7m・奥行き7.2mあり 重さは推定で500トンを越える
銘石・竜山石として知られる凝灰岩の岩山の中腹を削って作られており 三方は未加工の岩盤に囲まれている
誰がいつ頃何の目的で作ったものであるのかは伝聞もなく学術的な解明はされていない
幕末にシーボルトが訪れ詳細な3枚のスケッチを描き 著書『NIPPON』の第一冊目に収録されている
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突起が背面にあり 形状は旧型テレビのブラウン管に似ているため 尚更謎を深めている
下部は 全体を切り取る工程を途中で停止したと思われる切込みが入り岩盤が大きく窪み池となっている
社伝によれば この池の水は枯れることなく 水位は海の潮位と連動しているといわれる
わずかに岩盤とつながる底部中央部が死角となって 巨石が池の上に浮かんで見えるため「浮石」と呼ばれる
生石神社の社伝では 大穴牟遅神と少毘古那神の二神が出雲国から播磨国に来た際に
一夜のうちに石造の宮殿を建てようとして現在の形まで彫ったが 播磨の神による反乱が起こり
反乱を鎮圧している間に夜が明けて宮殿は横倒しのまま起こすことができなかったのだと伝わる
『播磨國風土記』の記述には「原の南に作り石あり 形 屋の如し 長さ二丈 廣さ一丈五尺 高さもかくの如し
名號を大石といふ 傳へていへらく 聖徳の王の御世 弓削の大連の造れる石なり」とあるが伝説の域を出ない
推理作家の松本清張は 古代ゾロアスター教(拝火教)を著した『火の路』の中で
奈良県橿原市にある巨石遺跡「益田の岩船」との関連性を指摘している
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拝殿の奥にある御神体の「石乃寶殿」
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岩塊の宝殿山
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神殿右側の登山道
神門

大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 棚田百選 下赤坂の棚田
夕焼けと棚田のコラボを期待して訪ねたが 残念ながらまだ水も入っていなかった

千早赤阪村内のいたるところで見られる棚田は、鎌倉時代頃から続いていると言われています。
下赤阪の棚田は、平成11年7月に農林水産省により「日本の棚田百選」に認定されました。
周辺には、1331年に楠木正成が後醍醐天皇に拝諸して築いた山城である「赤阪城跡」があり、
歴史的な風景と調和した棚田を眺めることができます。例年、田植えは5月末から6月上旬頃、
刈り入れが9月末から10月上旬頃に行われます。春先には「水を引き込んだ棚田」、
初夏には「早苗が風にそよぐ棚田」、真夏には「青々とした棚田」、秋には「黄金色の稲穂が波打つ棚田」、
冬には「雪化粧した棚田」など、四季折々の美しい姿を見せてくれます。
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午後6時30分 「道の駅かなん」に戻り車中泊 その前にセブンでビールを買う
明日は早朝から葛城山を登りツツジを見に行く
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