2019.03.01 山口県防府市松崎町 防府天満宮の梅

菅原道真が死没した翌年の延喜4年(904)に創建され 日本で最初に道真を天神として祀ったとされる
かつての名は 松崎天満宮や宮市天満宮 または単に天満宮と称していたが
明治6年(1873)の近代社格制度で県社となり松崎神社と改称した 第二次大戦後に社格制度が廃止され
昭和28年(1953)に防府天満宮と改称し現在に至る 菅原道真が左大臣の藤原時平に讒訴(ざんそ)され失脚
京を追われ大宰府に流される際の宿泊地のひとつが防府とされている 延喜3年失意のうちに太宰府で没し
死後に都周辺で天変地異が多発したことから 道真の怨霊が祟りをなしたと恐れられ これを鎮めるために祀り
天満大自在天神として信仰の対象とされた 祟りを封じるために祀られたことが次第に忘れられ 生前の道真が
学問や歌に秀でていたことから学問の神として信仰され 天神様という身近な神として崇められるようになった
普遍的に 平安貴族は梅花を好んだが 道真が住んでいた屋敷を白梅御殿・別邸を紅梅御殿と呼ばれていたとされ
九州へ左遷され邸宅を出発する際に「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春をわするな」と詠み
逝去の際にも絶筆となった漢詩に梅が詠まれ 後の世にもそれが伝わり 天神と梅は切り離せないものとなった
また江戸時代後期の滑稽本『古朽木』に「道真は梅の種より生まれた」と書かれ
今でも梅干しの種の中身を 天神様と呼ぶ風習が各地に残されている
防府天満宮は 京都の北野天満宮・福岡の太宰府天満宮と並び 日本の三大天満宮に数えられている
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自宅を午前5時30分の暗いうちに出発 下道を使い午前10時15分に天満宮駐車場に到着した
梅園の紅白梅は盛りを過ぎたが しだれ梅は今がほぼ満開の状態である
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旧西国街道(山陽道)まで続く参道
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楼門
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拝殿
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春風楼
10代藩主・毛利斎煕が社頭に五重塔の建立を思い立ち 文政5年(1822)より工事を開始したが
天保2年(1831)工事中止 その後 塔の設計を現在の重層の楼閣様式へ変更し明治6年(1873)に完工した
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楼の床下木組は 五重塔一層目軒下に使用予定の組物が使われ 文政年間着工時の面影を偲ぶに充分である
防府天満宮梅園の梅
防府天満宮のこの梅園には、16種、約1100本の梅が植えられています。2月上旬から3月中旬まで、
美しい花を咲かせます。また、当境内には梅の老木が多数残されています。
これらは改良品種の花梅、実梅とは異なり、自然界の梅で原種の性質を強く残し、ほとんど白花です。
一般的には白梅(ハクバイ)と呼ばれ、愛梅家は野梅(ヤバイ)と呼んで庭木、盆栽用に好んで用います。
野梅系(野梅性・難波性・紅筆性・青軸性)梅の性質を強く残し、花の色には関係なく枝の切口は白色。
花の色は白、萼は緑。紅梅系(紅梅性・緋梅性)花の色には関係なく、枝の切口は紅色。
豊後系(豊後性・杏性)花の色には関係なく、梅と杏の両方の性質が出る。
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1時間15分の滞在で 午前11時30分に天満宮を出て 山口市阿知須の「道の駅・きららあじす」に向かう
道の駅で昼食後 本山岬のくぐり岩へ 自宅到着は午後5時50分であった
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