2018.10.30  大分県九重町大字田野 秋のタデ原湿原

ふたつの「くじゅう」 九重と久住について
くじゅう(くじう)の語源は『古事記』や『日本書紀』にある「くしふる」や「くしひ」などの地名が語源とされ
『万葉集』」や『豊後国風土記』」には「くたみ」の記述もある
現在「くじゅう」には 「九重」(別名:ここのえ)と「久住」の2通りの表記が用いられ混乱することがある
その起源は 平安時代の延暦年間(西暦800年頃)に 九重山法華院白水寺と久住山猪鹿狼寺が
天台宗の修験道場として開山されたことに始まるが 地名としての「くじゅう」は直入郡久住村のみであった
明治22年(1889)4月に 町村制施行に伴い直入郡久住村が村制施行し 自治体として久住村が成立した
昭和30年(1955)野上町と東飯田・飯田・南山田の各村が合併して九重町が誕生「ここのえまち」とした
昭和9年(1934)12月 阿蘇・九重連山地域が阿蘇国立公園として指定され
昭和28年(1953)由布・鶴見・高崎山を編入し 昭和31年(1956)高崎山を瀬戸内海国立公園へ編出除外した
昭和39年(1964)6月 やまなみハイウェイの供用開始に伴い「阿蘇国立公園」に地域名を加えて改名する際
久住と九重それぞれの表記が 特定の地域に結びつくことになり 地域全体を指す時にどちらの表記を用いるか
長らく論争が続いたが 「阿蘇くじゅう国立公園」とすることで決着し 昭和61年(1986)9月に名称変更した
昭和4年発行の地形図(明治36年測図昭和2年要部修正測図)によれば すでに九重山と久住山の併記が見られ
現在でも 火山群や周辺地域全体を指す場合に「九重山」や「九重連山」を用い その主峰である
単独の山を指す場合に「久住山」を ふもとの南部高原を「久住高原」とするのが一般的であるが
混乱を避けるために ひらがなの「くじゅう」や「くじう」を用いることも多い
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やまなみハイウェイの紅葉
タデ原湿原は くじゅう連山の北側(標高約1000m付近)に位置し 火山地形の扇状地にできた湿原である
山岳地域に形成された中間湿原では 国内最大級の面積を持つことなどから
国際的にも重要な湿地であると認められ 平成17年(2005)11月に坊ガツル湿原とともに
「くじゅう坊ガツル・タデ原湿原」としてラムサール条約に登録された
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三俣山の北峰(1695.5m)・本峰(1744.3m)・西峰(1678m)と手前は淡麗な姿の指山(1449m)
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三股・星生の山裾を源とする筑後川源流・白水川 鳴子川の九酔渓を経て引治で玖珠川に注ぐ
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秋にタデ原湿原を散策するのは初めて こんなにススキの紅葉が綺麗だとは知らなかった
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奇跡的に残された ドライフラワー状態のヒゴタイ
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ススキの紅葉
ススキ(芒・薄・為酢寸・荻)
イネ科ススキ属の多年草園芸植物で 朝鮮半島や中国・東アジアに広く分布している
学名は<Miscanthus sinensis> 英名は<Eulalia
別名は多く 乱草(みだれぐさ)・家萱(やがや)・月並草・男榧(おとこがや)・荒草(あらくさ)
衵の花(あこめのはな)・袖振草・袖波草・露曽草・露見草・頻波草(しきなみぐさ)などが見られる
また ススキの穂を 動物の尾に見立てて尾花と呼ぶ この名はススキおよびススキの穂を意味する古名であり
奈良時代の歌人・山上憶良が「萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また 藤袴 朝顔の花」と詠んだように
古来より秋の七草の一つに数えられている また 馬の毛色で尾花栗毛というのは
たてがみや尾の毛が白色の栗毛馬であることを指す
他に枯尾花(枯れすすき)という古名があり 江戸時代の国文学者・横井也有が著した俳文集『鶉衣』で
「一年松木淡々己れ高ぶり 人を慢(あなど)ると伝へ聞き 初めて対面して化物の正躰見たり枯れ尾花
其の誠心なること大概この類なり」と述べている その内「化物の正躰見たり枯尾花」の部分が世に広まり
「恐怖心や猜疑心があると 何でもないものでも 怖ろしげなもの怪しげなものに見えてしまう」
という意味の「幽霊の正体見たり枯尾花」になって 今でもよく使われる「ことわざ」となった
また ススキは「カヤ」(茅・萱)と呼ばれる有用な植物で 野原に生息する場所を「茅場」と称した
根出葉と稈からの細長い葉が多くつき ケイ酸を多く含むため堅く丈夫であることから古代より屋根葺などに
利用されてきたほか 家畜の餌としても利用された ススキは 株が大きくなるには時間がかかるため
初期の草原では姿が見られないが 次第に背が高くなり そのうち全体を覆うようになる
ススキがはびこる草原は 草原としては概ね最終段階に達している状態で 放置すれば樹木が侵入して
次第に森林へと変化していく そのため 茅場や牧草地の場合 草刈りや野焼きを定期的に行い
人の手によって草原の状態を維持する必要がある
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長者原
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長者原 奥郷川ダム堰堤から三俣山
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奥郷川ダム
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長者原
温泉マークを別府温泉のシンボルとした油屋熊八が 別府・由布院・久住高原・阿蘇・雲仙・長崎を結ぶ
九州横断観光道路を提唱し 大正14年(1925)当地にホテルを開業した時 熊八の盟友である吉田初三郎が
朝日長者伝説にちなんで長者ヶ原(ちょうじゃがばる)と命名したことに由来する
当時は すがもり越の九重山硫黄精錬所及び麓の寒の地獄まで 由布院から道が通じていた
油屋熊八の没後29年及び吉田初三郎の没後19年の 昭和39年(1964)にやまなみハイウェイが開通した
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