黒木のフジ(国指定天然記念物)
所在地:八女市黒木町大字黒木 素盞鳴神社境内 指定:昭和3年1月31日
この藤は、応永二年(1395)後征西将軍良成親王が植栽せられたものと言い伝えられ、
その後、天正十二年(1584)七月、大友軍の兵火により焼損し、更に文政四年(1821)正月に、
黒木町の大火にあうなどの被災もあったが、幸い生を保ち、六百年の樹令を数えている。
「開花期は、四月下旬〜五月上旬で、満開時は幾千万の花房が0.5〜1.5メートルに伸び、
黒木城跡を背景に矢部川の清流に映え、山・水・花の調和は見事である。
本樹は紫藤の老巨木で、他に類を見ない代表的なものである。町花:昭和58年11月4日設定
平成7年3月25日 黒木町教育委員会
2018.04.19 福岡県八女市黒木町大字黒木 黒木の大藤
素盞鳴神社参道
2018.04.19 福岡県柳川市三橋町中山 中山の大藤
福岡県指定然記念物 中山の大フジ所在地:柳川市三橋町中山熊野神社境内 指定年月日:昭和52年4月9日
この大フジは、樹齢約三百年と推定される。一株のフジであるが地際で大きく二つに分かれ、
更に周15cm以上のツル11本程が広がっている。フジ棚の広さは約1200平方mの規模をもつ。
古老の口伝によれば、享保年間(1716〜1735)に、当地中山西方で酒造を営み裕福な暮らしをしていた
通称「萬さん」という人物が、上方(関西)見物に出かけた際、吉野のサクラと並び称された有名な
「野田のフジ」(河内国野田=現在の大阪市福島区野田)の種子を持ち帰り自宅に植えたものという。
数十年後には、毎年四尺(約120cm)余りの花が垂れ下がるようになり、満開の時期には遠方からの見物客や
酒宴を催す人々で大変賑わった。見物人が余りに多くなり、現在地の熊野神社に奉納したという。
(別説では 酒盛りしていた武士が、酔って刀を抜き乱暴を働いたため、
萬さんは藤の木を熊野宮の社前に移したと伝えられている。)
中山の大フジに因み、昭和62年にフジの花が三橋町の花に制定され、合併後の柳川市においても
平成18年に市の花に制定された。現在、この大フジは中山大フジ保存会によって保護されている。
平成26年1月 柳川市教育委員会
藤(フジ) 学名:Wisteria floribunda
マメ科フジ属のつる性落葉木で 日本に自生する野田藤(藤)と山藤(野藤)の二種が日本固有種である
上から見て時計回りの右巻きつるが野田藤 左巻きが山藤である フジ属には 他に中国渡来のシナフジや
園芸種のシロバナフジ・ヤエフジ・ノダハナフジ・アカバナフジなどがある。
野田藤(一般名=フジ)は かつて鎌倉時代から淀川を行き交う人々の目を奪った藤の群生地の名に由来する
群生地は 現在の大阪市福島区野田あって江戸時代にはすでに「野田藤」の名称があった
後に 植物学者の牧野富太郎が現地調査して分類名として採用したが 野田の藤は開発等によって消滅した
花言葉は「優しさ」「歓迎」
アカバナフジ
マメ科フジ属のつる性落葉木で 日本に自生する野田藤(藤)と山藤(野藤)の二種が日本固有種である
上から見て時計回りの右巻きつるが野田藤 左巻きが山藤である フジ属には 他に中国渡来のシナフジや
園芸種のシロバナフジ・ヤエフジ・ノダハナフジ・アカバナフジなどがある。
野田藤(一般名=フジ)は かつて鎌倉時代から淀川を行き交う人々の目を奪った藤の群生地の名に由来する
群生地は 現在の大阪市福島区野田あって江戸時代にはすでに「野田藤」の名称があった
後に 植物学者の牧野富太郎が現地調査して分類名として採用したが 野田の藤は開発等によって消滅した
花言葉は「優しさ」「歓迎」
アカバナフジ
アカバナフジには木紅藤・新紅藤・海老茶藤があり 自生種のアケボノフジ(白紅藤)もピンクの花を咲かせる
熊野神社のクスノキ
熊野神社のクスノキ
2018.04.19 福岡県うきは市浮羽町妹川 巨瀬(こせ)の大藤
樹齢260年の藤2018.04.25 山口県山口市大字徳地三谷字奥谷 愛のフジ橋
1970年頃 車椅子生活を送っていた亡き夫のために 家から見える自宅の橋のたもとに藤の苗を植えたのが始まり 今では藤のツルが橋をつたって対岸まで成長している