2018.04.19  福岡県八女市星野村 星の花公園のシャクナゲ

この日は 黒木の大フジと中山の大フジを訪ねる予定で 合瀬耳納峠を超えた 道すがら
そこかしこに「星野シャクナゲ・・」の案内板が出ている そういえば 以前「池の山園地」で見た気がする
しかも大した本数でなかった気もするが とりあえず寄ってみようかと峠を下って直進 すると右手に
とてつもなく多くのシャクナゲが山を覆う姿が見えた とりあえず県道から左折して星の文化館を目指す
星野川に架かる池の山橋を渡ると池の山グラウンドがあり 道路法面は久留米ツツジで覆われている
幾度も通る道だが  今まで花を見たことがなく初めて満開の時期に出会った それにしても見事である
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池の山キャンプ場入り口にもっと奥へ行けと案内板が出ている 以前の「星の文化館」への道は閉鎖され
以前より広くなった道がまだ奥へと続き 急斜面に取り付いてフロント越しに青空を見ながら上ると
「お〜!」(一瞬息を呑み)「すっげー知らんやったー」と感嘆の声を上げる
県道52号八女香春線の星野支所交差点から2.6km 星野村の「星の文化館」のさらに奥地にあるシャクナゲ園
旧星野金山跡の 標高506mの山を囲むように造成され その面積は約3万坪で九州最大級の広さである
この時期 3万本の色鮮やかな西洋シャクナゲと淡いピンクの筑紫シャクナゲが咲き誇る
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公式サイト:http://hoshihana.jp/
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下に見えるのは「星のふるさと公園星降る広場」
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星野金山採掘坑跡
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星野金山が史上初めて記されたのは 弘安7年(1284)で 星野氏が嘉禄2年(1226)にこの地に入封して
約60年後のことである 星野氏は 本星野に館居を構え 18代にわたって生葉郡を支配したが
その原動力となったのは 領内の金鉱脈と金の採掘・精錬技術であった
天正14年(1586)に大友方の立花宗茂(後の筑後柳河藩の初代藩主)と戦い 後裔の星野鎮胤・鎮元兄弟が
筑前国糟屋の高鳥井城にて討死して星野氏は滅びた しかし星野金山の稼働は豊臣秀吉によって引き継がれ
江戸時代の寛永2年(1625)以降は 諸資料に再三登場している 特に寛永13年(1636)に始まる
徳川家康第21回神忌に向けての日光東照宮大改造が始められると 星野金山より産出した金が多く使われた
星野金山は 享保年間(1716−1725)に最も隆盛し 採掘人夫や役人の数も4000人を超え賑わいをみせた
星野村には 県境のカラ迫岳に至る約7.5kmに金山採掘跡の竪坑と数段の横坑が無数にあり
南東へ18km離れた鯛生金山との間にもいくつもの金鉱山が開発された
鯛生金山は明治27年(1894)12月に 通りがかりの星野村の行商人が拾った小石が金鉱石と判明したことから
金鉱脈が発見され 明治31年(1898)から昭和47年(1972年)にかけて採掘され
昭和初期の全盛期には 約3000人の鉱夫が集まり鉱山町が形成された
特に最盛期の昭和9年から昭和13年にかけては 年間産出量が佐渡金山を上回る2.3トンに達した
星野金山も鯛生金山に買収統合されたが  昭和18年(1943)4月に政府の鉱山整理令により閉山となった
鯛生金山も 昭和47年(1972)に資源枯渇のため閉山されている
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星の文化館
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シャクナゲは今も民間ボランティアの手によって増え続けており 年々大きく育っている
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花見台
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<上2枚> 花見台からの展望 魚眼レンズ
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星の金山花公園 木彫りの動物園
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平和の鐘展望台
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