2018.04.02-03  岡山県津山市山下 津山城址の桜

津山城
慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで 東軍の徳川方に寝返り参与した小早川秀秋が岡山城に入り
備前と美作及び備中東半分を領する大名となったが 慶長7年に急死 小早川家はわずか2年で無嗣改易された
翌 慶長8年(1603)織田信長の近習であった森 成利(森 蘭丸)の弟・森 忠政が 18万6500石を拝領し
戸川に入封して津山藩が立藩され 中世に山名氏が築城した鶴山城跡地に姫路城をもしのぐ平山城を築いた
元禄10年(1697)森家が改易され一時天領とされたが 翌年には 越後高田藩から松平家が10万石にて入封し
徳川親藩として津山藩が復活された 後に譜代の勝山藩も立てられ さらに東南条と真島を除く各郡部に
幕府領が置かれた その他飛地として上野沼田・常陸土浦・下総古河・三河挙母・岩美浜田・播磨明石
播磨龍野藩の各領地が錯綜し 天領内にも倉敷代官所の飛地があるなど小領に分割されたまま幕末に至っている
往時の津山城は外郭を含め 広島城の76棟及び姫路城の61棟をしのぐ77棟の櫓が建ち並び 明治初頭に
その様子を撮影した写真が残されている 明治6年(1873)の廃城令により大蔵省管理となり競売に付されて
明治7年から8年にかけ 燃料の薪として天守・櫓などの建物が悉く破却されるに至った
唯一「四脚門」については 美作国一宮の中山神社に移築されたことが確認されている
石垣や建物の礎石などの遺構が残るのみとなったが 明治23年(1890)腰巻櫓跡石垣が崩落し これを契機に
城の保存運動が起こり 明治33年(1900)に城跡が町有化されて鶴山公園(かくざんこうえん)となった
以後は津山町によって保存整備され桜の植樹も行われた 昭和38年(1963)には国の史跡となっている
平成14年(2002)築城四百年記念行事の一環として 備中櫓復元工事に着手し 平成17年(2005)に
二重の櫓が竣工し 翌年には 天守台南側に太鼓塀を復元した
桜の名所として「日本さくら名所100選」にも選ばれ 例年4月1日から15日には城跡公園を中心に
津山さくらまつりが催される ライトアップされた夜桜を眼下に見おろす風景も 幻想的で親しまれている
4月2日 津山城の夜桜
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<上>復元された備中櫓
<右>二の丸桜並木
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本丸へ登る切手門の石段
午後8時に城を下り 鏡野町寺元の湯の里瀬戸川温泉へ 入浴料600円 午前0時まで営業
温泉の経営は 津山城備中櫓の復元工事に携わった株式会社牧工務店である
途中 夕食をコンビニで仕入れて「道の駅久米の里」へ移動して車中泊
翌朝は「道の駅」の向いにあるポプラで惣菜を買い飯を炊く ガス炊飯器が大活躍である
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翌朝の「久米の里」 ガンダム戦士
自分は「鉄人28号(超!古〜)」の世代なので良く解らない なので以下説明文をそのまま掲載
機動戦士Zガンダム(1985年放映)
「1979年に放映され一大ブームを巻き起こした「機動戦士ガンダム」の続編として制作された作品。
一作目のガンダムから7年後の世界を描いた作品で、総監督の富野由悠季氏をはじめとするオリジナルスタッフに
新進のスタッフを加え、新たなるガンダム・サーガを描き出し話題を呼んだ。
この“モビルスーツ・Zガンダム”は、メカデザイナー藤田一己氏のデザインによるもので、作品に登場した
Zガンダムに藤田一也氏自身が、さらに手を加えたものである。
©創通エージェンシー・サンライズ
本機は、久米町宮部下在住の中元正一氏(1964年生まれ)が、自ら設計図を描き独力で製作したもので、
機体は鋼製の内部骨格、外装は繊維強化プラスチック製、脚部は動かせるように油圧シリンダー等が
組み込まれています。コクピット内に人が乗り組み操作できる二足歩行型有人汎用機械として、
約7年の製作期間を経て1999年12月に誕生したものです。全高7.0m 全幅3.5m 重量2t 乗員1名
2000年9月
感謝状  久米の里ガンダム殿
あなたは道の駅久米の里を基地として地球と地域を衛る正義の戦いに臨まれ多くの人々に夢と感動を与え、
久米の里をはじめ久米町の活性化に多大な貢献をされました。
よって久米町制施行五十周年にあたり深く感謝の意を表します。
平成十六年十月三十一日  久米町長 杉山和之

4月3日 津山城の桜
津山城跡に桜を植えた人 福井純一
鶴山公園は、岡山県内で唯一「全国桜名所百選」に選ばれている桜の名所である。この桜の植樹に尽力したのが、
福井純一である。純一は、明治11年(1878年)、津山市本町二丁目に生まれる。津山成器小学校から
同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する。町会議員から市制とともに市会議員、
昭和7年、第三代目の津山市議会議長に就任する。明治32年(1899年)、県有地だった津山城跡は、
公園にするという条件で津山町に払い下げられた。明治33年(1900年)から津山町が公園化に手をつけ、
純一も桜植樹の中心的な役割を担うことになる。「城跡を桜で埋めるなんて、阿呆の沙汰じゃ」と
揶揄されながらも、私財を投じるとともに寄付集めに奔走する。明治40年(1907年)ころには、
公園としての様相が一応整い、その後、大正4年(1915年)と昭和3年(1928年)に御大典記念植樹が行われた。
津山城跡が桜で覆われるようになったのはこのころからである。純一は、昭和32年(1957年)、
生涯の大半を津山城跡の桜にかけた八十年の生涯を終えた。
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市営城南駐車場に車を停めて 午前8時30分登城
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復元された備中櫓
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鉄砲櫓跡
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二の丸石垣
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二の丸桜並木
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本丸 十九番門
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本丸から見下ろす桜
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備中櫓内部
銃眼から見る桜
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天守石垣 <下>明治初年頃の天守閣
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本丸の桜
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山桜の園芸品種 紅南殿(べになんでん)
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本丸十四番門
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午前10時40分 藩主庭園の衆楽園と城西地区を散策(街道記/出雲街道/津山宿)
午後2時 田町の津山城下町歴史館駐車場(無料)を出発 醍醐桜に向かう
距離42km 通常は一時間で到着するが 渋滞にハマることは必至である
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