2018.03.01 大分県津久見市  四浦半島の川津桜

四浦半島(ようらはんとう)は 大分県の南部に位置し豊後水道に向かって東へ突き出し 脊稜山地が
背骨のように横たわるリアス式海岸が発達した半島である この半島の稜線付近を境に北側は津久見市に
南側は佐伯市に属する 半島の北側には津久見湾 南側は佐伯湾が広がっている
山地が大部分を占め 集落は沿岸部に集中しており 半島の突端にはマグロの遠洋漁業の基地として有名な
保戸島が浮かぶ そもそも四浦とは 享和3年(1803)に編纂された『豊後国志』によれば
佐伯藩領であった北海部郡の落野浦・鳩浦および半島南・南海部郡の蒲戸浦・福泊浦の総称とされているが
現在では 半島北岸にある津久見市側の落野浦・久保泊浦・鳩浦・深良津浦の4つの浦の総称となっている
明治25年(1892)から昭和26年(1951)まで北海部郡四浦村があったが 津久見市に吸収合併された
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国土地理院 空中写真  @ 鳩浦 A 久保泊浦 B 深良津浦 C 落ノ浦(落野浦)
2005年からこの四浦地区で川津桜の植栽が始められ 現在では約4600本に増えて桜の名所となっている
毎年2月上旬には四浦半島からは早くも桜の便りが届き始め 中旬ぐらいには見頃を迎える
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四浦展望台
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刀自ヶ浦(とじがうら)
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刀自ヶ浦漁港
深良津浦(ふからづうら)
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深良津弁財天
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深良津の浜
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小仁宅(こんたく)の河津桜展望所
落ノ浦
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落ノ浦漁港の灯台
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旧越智小学校の河津桜
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田ノ浦天満宮
大黄花片(オオキバナカタバミ)
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半島最北端部の間元港
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保戸島(ほとじま)
津久見港から北東約14kmに位置し 周囲約4km 面積0.86キロ平方メートル 最高地点は標高179mの遠見山
人口は千人弱で マグロの遠洋漁業の基地として知られている
明治25年(1892)から昭和26年(1951)まで保戸島村として独立した自治体であった 平地がほとんどないため
海岸に迫る急斜面に3階建ての白いコンクリート造の建物がひしめくように建ち並ぶ様は 地中海の漁港を連想させ
日本の「ナポリ」と称され 「未来に残したい漁業漁村の歴史文化財百選」に選定されている
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幅150mもない間元海峡に橋を架ける予定は なぜか?無い
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高井島
越智小学校(休校中)の河津桜
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高浜
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保戸島遠望
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鞍谷から佐伯に抜ける
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県道541号四浦港津井浦線
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最勝海浦(にいなめうら)の三ツ石と浦戸崎
奇岩「三ツ石」のある最勝海浦の呼称は 四浦半島南岸の大浜・蒲戸・福泊・長田・夏井の五ッ浦の総称で
明治時代に始まった 「最勝海(元はホツメと読んだ)」という名は『豊後国風土記』の海部郡の条で登場し
その内容は 海部郡の南部にあったとされる穂門郷の名の由来を 景行天皇の行幸の際
最勝海藻(ほつめ=ワカメ)を採らせたこととし これが後に転訛して「穂門」(ほと)となったとしている
この最勝海を「にいなめ」と読むのは 明治にこの名が付けられた際『豊後国風土記』の写本による誤記を
採用したためとも言われている 佐伯湾の北に突き出す四浦半島南側の全長約7kmのリアス式海岸で
半島を成す山々が海に落ち込み 海中に奇岩が点在することから海の耶馬渓とも呼ばれる景勝地である
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