九年庵(くねんあん)の元は 佐賀地方財閥の宗主であった実業家・伊丹弥太郎(慶応2年12月12日生)が
明治25年(1892)に 仁比山護国寺三十六坊の塔頭・不動院と子院・仁比山地蔵院跡に建てた
数寄屋造りの別荘が始まりで 後の明治33年(1900)からは 2千坪を越える日本庭園の築庭に着手し
庭師の久留米誓行寺・阿(ほとり)和尚により 9年の歳月をかけて完成させたものである
大正9年(1920)には 邸宅の西北に14坪の草庵風離れ茶室を建て「九年庵」と名付けた
元来「九年庵」とは この茶室のことを指すが 後年 茶室は解体されてしまい礎石だけが残されている
昭和57年(1982)に佐賀県が所有者の倉田氏から土地を建物付きで購入し修復をおこない
昭和63年(1988)の秋に初公開 平成22年(2010)からは 春にも一般公開されている
平成7年(1995)2月21日に国の名勝に指定された
2017.11.21 佐賀県神埼市神崎町仁比山 九年庵の紅葉
庭園には134本のモミジが植栽されている
表玄関
客間の網代天井
表玄関の格子窓
南の主庭
仁比山神社と仁比山公園
神埼市天然記念物 樹齢800年
仁比山神社のクスノキ
仁比山神社のクスノキ
仁比山神社(にいやまじんじゃ)
社伝によれば 天平元年(729)この地に松尾大社を勧請したことから始まり 承和11年(844)に慈覚大師が
唐から戻る際この地に立ち寄り 土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上したところ
比叡の神威を感じた仁明天皇の命により近江坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とした
そのときに この地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたとされる
藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子により神殿が再建され 明治3年神仏分離令により仁比山護国寺が廃され
白角折社などを合祀して仁比山神社となった その後 白角折社は旧地に復座した
社伝によれば 天平元年(729)この地に松尾大社を勧請したことから始まり 承和11年(844)に慈覚大師が
唐から戻る際この地に立ち寄り 土中より日吉宮の額を発見したことを朝廷に奏上したところ
比叡の神威を感じた仁明天皇の命により近江坂本の日吉宮の御分神を合祀し朝廷の祈願所とした
そのときに この地を仁明天皇の「仁」と比叡山の「比山」を併せて「仁比山」としたとされる
藩祖鍋島直茂・初代藩主勝茂親子により神殿が再建され 明治3年神仏分離令により仁比山護国寺が廃され
白角折社などを合祀して仁比山神社となった その後 白角折社は旧地に復座した
伊東玄朴旧宅
江戸末期の蘭学医 長崎でシーボルトに習い種痘の導入を計った
江戸末期の蘭学医 長崎でシーボルトに習い種痘の導入を計った
元護国寺の山門
「もみじの湯」の足湯
愛逢橋
城原川に架かる愛逢橋は木製のトラス橋