2017.04.30 島根県松江市八束町 大根島・由志園

ゴールデンウィークの期間中に限り 島根・大根島の由志園では「三万輪の池泉牡丹」が開催される
いつもなら雑踏を避けるため GWには出掛けないことにしているのだが 一度は見てみたいと思い立ち
遠路遥々 島根まで行くことにした 車中泊場所は安来市の「道の駅・あらエッサ」に2泊の予定である
4月29日 自宅から「あらエッサ」まで 移動距離436km 下道を使い約11時間掛けて行くノンビリ旅である
日田−門司−関門トンネル−2号線−山口宇部道路−山口からは国道9号線・県道・広域農道を使い安来市へ
松江玉造IC−東出雲ICまで高速山陰道無料区間を利用するが 東出雲ICを出て国道交差点に差し掛かると
歩道橋に「出雲郷東」と書いてある ナビの案内がいつも聞き取りにくく 勝手に「いずもごうひがし」と
読んでいたが よく見ると国道の掲示板に<Adakae−Higasi>とある「出雲郷」は「あだかえ」と読むらしい
難読地名だが PCの日本語入力では間違いなく漢字変換される しかし読み方を知っていることが前提となる
少々ややこしい話ではあるが 『日本地名大辞典』『島根県大百科辞典』によると「あだかや」であるが
東出雲町役場では「あだかえ」を使い 郵便局なども「あだかえ」読みとなっている 「あだかや」は
以前の古い呼名のようで  地名の元となった阿太加夜神社( あだかやじんじゃ)が 意宇川の右岸にある
主祭神は 阿陀加夜奴志多岐喜比賣命(アダガヤヌシ タキギヒメ ノ ミコト)といい
大穴持命(大国主)の御子 南朝鮮渡来集団の首長などの説が有り 話が古く混沌としているのが現状である
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山口県山口市阿東生雲東分 道の駅・長門峡の駐車場から見る 北側・篠目の山
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山口県山口市阿東徳佐上 新緑の山と水田の代掻き風景
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宍道湖ふれあいぱーく
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午後5時40分 宍道湖の夕映え
安来市の道の駅・あらエッサには午後6時30分頃到着した
大根島(だいこんじま)
大根島は 宍道湖東部の中海に浮かぶ周囲9.8km 東西3.3km 南北2.2km 面積約6.78平方kmの小島である
大根島と隣の江島は同じ火山により生成された火山島で  今から約19万年前の噴火によってできたとされる
噴火時は氷期にあたり 海面は少なくとも 現在より60m以上も低く中海全体は陸地であったが
1万年前以降は 海面上昇が著しく 現在のような姿になったと考えられている 島の中心部に
標高42.2m(三角点)の大塚山スコリア丘があるが  この大塚山を除くと大根島は標高25m以下で
傾斜も3度以下の穏やかな丘状の島である 溶岩の厚みは約80mあり度重なる噴火により溶岩層が
幾重にも重なってできたもので 透水性のよい岩石や地層による「淡水レンズ層」があり地下水が豊富である
これにより畑作が盛んで 天保年間(1830〜1844)に松江藩の御手畑が作られ 高麗人参の栽培が始まった
以降は自前の畑での栽培も許可され 今では牡丹と並ぶ島の特産品となり 雲州人参と呼ばれている
奈良時代に書かれた『出雲国風土記』には 「出雲郡の杵築の御崎のたこを捕らえた大鷲がこの島に飛来した
ことにより『たこ島』と名付けられた」との言い伝えが載せられている その後島の名も
「たこ」から「栲 (たく)」「太根(たく)」「大根(たいこ)」と変化して今に至ったと考えられている
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国土地理院空中写真 大根島と江島
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新名所 江島大橋の「ベタ踏み坂」
実際の斜度は6.1%・傾斜角度3.5度で アクセルを「ベタ踏み」しなければならないほどの坂ではない
超望遠レンズで撮影されたダイハツのCMを見て名付けられたもので 「単に目の錯覚である」と言ってしまえば
それまでだが 臨時駐車場が出来るほど有名になり ひっきり無しに撮影者がやってくる
由志園(ゆうしえん)
面積4万平方mの池泉回遊式日本庭園で 雲州人参や牡丹の栽培及び販売を行っていた門脇由蔵の
観光開発構想を受け継ぎ 息子である門脇栄が8年の歳月を掛け昭和50年(1975)4月に開園した
由志園の名は 父の「志」と 父の名の一文字をとり名付けられたものである
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由志園入口
開園当時の大根島は まだ陸続きではなく 多くの観光客は 松江から合同汽船に乗ってやってきた
昭和55年(1980)9月1日 大海崎橋と大海崎堤防が完成し陸続きとなり
今では車で松江市大海崎・松江市森山 そして鳥取県側の境港の三方向から訪れることが可能となった
その後 堤防の主体工事である中海干拓及び淡水化事業は 平成17年(2005)正式に中止となっている 
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三万輪の池泉牡丹
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牡丹伝播の歴史
花の王、牡丹。その原産地は中国で、日本へは奈良時代に薬用植物として伝えられ、
当時は寺院などに植えられていたようです。大根島に牡丹が入ってきたのは、およそ300年前のこと。
大根島の古剃である全隆寺の和尚が、遠州(現在の静岡県袋井市)へ修行に訪れた際、
薬用として持ち帰ったのが始まりとされています。約20万年前の噴火活動でできた島の土壌は、
火山灰からできた黒ぼく土で、牡丹の栽培に適していました。この土質を生かして、品種改良とともに、
明治の中頃から島内の農家でも栽培が 始まったのです。
その後、大根島は国内の牡丹苗木の約9割を生産する、日本一の牡丹の名所に成長します。
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茶房 一望
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淡水レンズ模型
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