2017.04.04 武雄・嬉野の桜散歩

有田内山・皿山通りの散策後 武雄市と嬉野市の桜名所を辿って帰路につく
武雄市馬場の山桜−八天桜−円応寺桜並木−庭木ダム−納戸料の百年桜−和泉式部公園の順に周遊するが
馬場の山桜と百年桜はまだ咲いていなかった 今年はやはり開花が遅い
有田内山・陶山神社
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お昼時 窯場で働く人たちが桜の下でミニ宴会
赤穂山八天桜
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午後6時30分から午後9時30分までの3時間ライトアップされ 池に映る桜の花が美しいと評判
円応寺参道の桜並木
円応寺は十一面観音菩薩を本尊とする曹洞宗の寺で 永正16年(1519)に 第18代武雄領主後藤純明が開基し
了然禅師によって開山された武雄鍋島家の菩提寺である
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円応寺鳥居型石門
安山岩(塩田石)切石を基礎石に、凡帳面取り角石を二個積み上げて柱としてあります。
貫(ぬき)は虹の形の一本ものです。正面に文様を彫り込んであります。笠木は三本組みで、
全体的に強い反りをもち、両端は渦巻きになっています。中央に「白雲関」の石造相額がかかっています。
規模は、内法幅2.76m、高さ5.01mで、建立年代は、向かって右側柱左側面の銘文に記してある
「寛政十年」(1798)です。因に、銘文は他に「施主 古川長衛慰中行 北川郷右衛門慰好信」
「願主 江ロ卯兵衛慰親澄 原松右衛門小奉行 眞名子嘉太八田代蔵七 石工 塩田住 筒井興四右衛門
同名幸右衛門」と記してあります。この種類の石造門は法音寺(臼杵市二玉座・明治11年 建立)に
類似の門がある程度で、はっきりした江戸時代の鳥居型石門として、石造建築史上価値の高いものです。
平成5年4月30日 武雄市重要文化財(建造物)指定
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円応寺アーチ型石門
参道の第二の門として文化14年に建立され 同時期の文化年間(1804〜1818)に参道に石畳が敷かれた
門の屋根は切妻型で 両脇に低い石塀がついている 門の幅は4.846m 奥行き0.97m 高さ4.17m
アーチ開口部幅2.42m 開口部の高さ3.24mで 門の裏側に刻銘があり 文化14年に大串儀左衛門が施主で
鳥屋弥兵衛・永石安兵衛などの石工によって造られたことがわかっている
正面のアーチ上部に「西海禅林」の額がある これは第28代武雄領主鍋島茂義の 15・6歳頃の筆によるもの
石造建築史上貴重なものとして 平成5年4月30日 武雄市重要文化財(建造物)に指定された
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庭木ダムの桜
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和泉式部公園の桜
平安朝の歌人として名高い和泉式部は 肥前国杵島郡の福泉寺(福泉禅寺:佐賀県杵島郡白石町田野上)で生れ
塩田郷の大黒丸夫婦にひきとられ 9歳まで塩田で過ごした その後 京の宮廷に召され
優れた才覚と美貌で波瀾に満ちた生涯を送ったと伝えられている 今でも嬉野市塩田町には和泉式部にまつわる
地名や伝説が数多く残っており「五町田」という地名は式部が詠んだ
「ふるさとに 帰る衣の色くちて 錦の浦や杵島なるらん」という歌に感動した天皇が大黒丸夫婦へ贈った
「五町の田圃」に由来するものである 「和泉式部公園」はこうしたロマンあふれる伝説の地に造られている
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飛行機雲が出た「案の定」 翌日は曇り二日後から雨となった
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大黒町遺跡発掘調査に基づく古代住居跡の葦ぶきの研修棟・竪穴式住居・高床式倉庫が隣接する
この茅葺の大きな高床式建物は 笹谷遺跡で発見された建築物を復元した物である
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背景は標高340mの白岩山
山肌の東部に見えるピンクの帯は「さくらの里」桜並木で 今回は時間の都合で行くことが出来なかった
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吉浦神社
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