2015.11.06  山口県山口市阿東町 紅葉の長門峡(ちょうもんきょう)

長門峡は 山口県山口市阿東嘉年上に源を発し 同県萩市街地から日本海へと注ぐ阿武川の上流域の
山口市阿東町及び萩市川上に位置する全長12kmの峡谷である
<地図>
奇岩や瀑布・深淵など変化に富む奇勝地として知られ 国の名勝や長門峡県立自然公園にも指定されている
中生代白亜紀の流紋岩質凝灰岩やデイサイト溶岩から形成されており 川の両岸に断崖を形成している
長門峡が生成される以前は 徳佐盆地の西端・標高542.1mの木戸山北麓に源を発した川は津和野方向に流出し
現在の津和野川・高津川の流れと同じルートで日本海へ注いでいたと考えられる 約128万年〜10万年前
徳佐盆地の東方に青野山・野坂山・段原山・三原山などの青野火山群が噴出し 川が堰止められて古徳佐湖が
形成された その後 阿武川の谷頭侵食と古徳佐湖の浸食活動によって盆地南西部が開削され
長門峡から日本海に排水されるようになった 青野火山群は 白山火山帯の一部である大山火山帯に属している
この火山帯は 大山・三瓶山・青野火山群・大分の姫島・由布・鶴見・九重連山へとつながり
共にユーラシアプレートに沈み込むフィリピンプレートの摩擦によって溶けたマントルがマグマとなって
地表に噴出して出来た火山である この似通った地層に出来た長門峡と耶馬渓は 同じような景観を持つ

長門峡の峡谷美は周知の事実ではあったが 交通の便が悪く わずかに近隣の杣人に知られているに過ぎなかった
明治に入り 国土地図作成のため参謀本部陸地測量部員がこの地帯を踏査し 続いて明治41年(1908)には
阿武川水力電気株式会社が ダム建設のため峡内を調査して資料写真を公表したのが
長門峡の存在を世間に紹介した最初のものであったと言われている
さらに明治44年(1911)の夏には 山口高等商業学校の外国人英語教師のエドワード・ガントレットが
御堂原から竜宮淵付近までを自ら踏査し「耶馬渓に劣らぬ景勝地」として「長門耶馬溪」と命名し
ひろく一般に紹介するとともに観光開発を呼びかけた 大正7年(1918)山口線が三谷まで開通して以来
探勝に訪れる客が急激に増加した 大正9年(1920)より 念願であった探勝道路の開削工事が開始され
同年 開削工事を力説し経費捻出に助力した高島北海によって「長門耶馬溪」を改め「長門峡」と命名された
大正11年(1922)長門峡仮停車場を開業し 大正12年(1923)国指定の名勝となった
昭和3年(1928)7月 長門峡仮停車場が長門峡駅に変更され現在に至っている
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AM 9:00 散策開始 朝日に映える紅葉
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白糸の滝
雪舟滝
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