2011.01.09  どんど焼(左義長)

左義長(または三毬杖)について
元は皇宮内の火祭り行事で 小正月の15日と18日に 吉書(きっしょ)を焼く儀式として執り行なわれた
清涼殿の東庭で 青竹を束ね立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び その上に扇子や短冊などを添え
陰陽師が謡いはやしながらこれらを燃やし その年の吉凶などを占ったとされる
徒然草に「・・・は 正月に打ちたる毬杖を真言院より神泉苑へ出して焼きあぐるなり」とある
毬杖(ぎっちょう)三本を結ぶことから「三毬杖(さぎちょう)」と呼ばれたのが始まりで
やがてこれが民間に伝わり現在の形になったとされるが 「左義長」の字があてられた由来は不明である
民間では正月14日または15日(九州では6〜7日)長い竹数本を円錐形などに組み立て
正月の門松・しめ飾りや書ぞめなどを持ち寄り燃やす その火で焼いた餅を食えば年中の病を除くといわれる
また燃やした書ぞめが 炎によって高く上がると字が上達すると言われている
道祖神の祭りとされる地域が多く 子供会などにより今も行われる地域もあるが
東京では江戸時代の万治・寛文と火災予防のために禁止されて以降廃れたが
近年 少子高齢化を迎える地方では 住民親睦と地域振興を図るため再び始めるところも多い
民俗学的な見地からは 門松や注連飾りによって出迎えた歳神を それらを焼くことによって炎と共に
見送る意味があるとされる 歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域では とんど(歳徳)焼きと呼ばれ
出雲方面の風習が発祥であろうと考えられている
他にどんど焼・どんと焼・さいとやき・ほっけんぎょう・ほちょじ・おにび・三毬打とも呼ばれ
とんどに爆竹の文字を当てる文献もある これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当字であろう
毬打(ぎっちょう)とは 木で出来た長い槌を使い木製の毬を相手陣に打ち込む遊び または
その槌のことを言い 「振々毬杖(ぶりぶりぎっちょう)」や「玉ぶりぶり」とも言う
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槌の柄には色糸をまとい飾る 平安時代に童子の遊びとして始まり後に庶民の間に広まった
江戸時代頃まで正月儀式として残ったが 現在では一部地域において文化体験の一環として残されるにとどまる
左利きの人が毬杖を左手に持ったことを「ひだりぎっちょう」の語源とする説もある
正徳5年([1715)出版の『本朝俚諺』には
「俗間に左の手の利きたる人をぎっちょといへるは左義長といふ意 左専らききたるに準ふ」とある
毬打(ぎっちょう)の元となった打毬(だきゅう・うちまり)は 古来からの日本の競技・遊戯である
騎馬戦で打毬杖(だきゅうづえ)を使い毬を自分の組の毬門に早く入れることを競う
紀元前6世紀のペルシャ(現・イラン)を起源とし 日本へは奈良時代に古代中国を経て伝来した
ペルシャから西方へはヨーロッパまで伝播し イギリスで近代化され競技の「ポロ」となった
現在の日本では 宮内庁と青森県八戸市の長者山新羅神社 山形県山形市にのみ伝承され
長者山新羅神社では騎馬ではない「徒打毬」(かちだきゅう)も行われる
『万葉集』巻6に神亀4年(727)正月に王子諸臣が春日野に集まり 打毬をおこなったことが記されている
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1月4日 どんど焼の準備
1月9日 午後4時点火
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午後4時45分
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焼餅の準備
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子供たちが餅を焼く 焼いた餅は「小豆ぜんざい」でいただく
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大人は缶ビール片手に肉を焼く
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