2014.10.16  ソバ

和名:蕎麦
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学名:Fagopyrum esculentum タデ科ソバ属の一年草
栽培種の花には オシベよりメシベの方が長い「長花柱花」と
オシベよりメシベの方が短い「短花柱花」の2種類の花があり
自分自身の花粉では結実しない自家不和合性を持ち 「長花柱花」と「短花柱花」間での受粉が必要となる
花粉の媒介はミツバチやハナアブ類等の昆虫によって行われる ソバの原産地については諸説あり
現在ではDNA解析により 中国南部に自生する野生祖先種(F. esculentum ssp. ancestrale)が
原種として認知され 中国南部説が有力視されている
種まきをしてから70〜80日程度で収穫可能で 痩せた土壌や弱酸性の土壌でも栽培できることから
縄文時代晩期から山間地の焼き畑で栽培されていた しかし収穫量が少なく焼き畑の減少と
灌漑設備の普及による水田の拡大に伴い 近代においてソバの耕作面積は減少している
古代日本語ではソバのことを「そばむぎ」「くろむぎ」と呼んだ
「そばむぎ」は物の角を表す古語の「そば」と作物名の麦が合わさった言葉で「角のある麦」という意味である
後世に「そばむぎ」が訛り「ソバ」と呼ばれるようになった
平安時代の古書『類聚三代格』に 養老7年(723)と承和6年(839)の項に
ソバ栽培の奨励を命じた2通の太政官符を掲載しているが 当時・曾波牟岐(そばむぎ)あるいは
久呂無木(くろむぎ)と呼ばれていたソバが 積極的に栽培されたとする記録は見られ無い
さらに鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には 平安時代中期の僧・歌人である道命が
杣人より蕎麦料理を振舞われ「食膳にも据えかねる料理」として驚き 和歌を詠んだという話を載せている
都人である貴族・僧侶にとっては 蕎麦が食物であるという認識すらなかったと言える
この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備え わずかに栽培する程度の雑穀だったと考えられている
なお 蕎麦(きょうばく)の二文字で「そば」と読むようになったのは 南北朝時代の『拾芥抄』からである
ソバの食し方として 古くは粒のままソバ粥に あるいは蕎麦粉を蕎麦掻きや 蕎麦焼きなどとして食した
当初 麺の蕎麦は蕎麦掻きと区別するために蕎麦切りと呼ばれていた
この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は 長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の寄進録である
天正2年(1574)同寺の建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」という
記載が確認できる 蕎麦粉を麺にする方法は「うどん」と伴に天正年間と云われ 大阪発祥という説もある
江戸時代では関西のうどんに対し関東では蕎麦がもてはやされた 要因としてはソバの供給源が近いことと
関東では薄口醤油が作られなかったことなどが考えられるが 江戸っ子の気質に合致したとも思われる
戦後 日本のソバは ほとんどが輸入品のため安価な価格で流通していたが
米や麦に比べ単位面積あたりの収量が 多く見積もっても約20%程度と低いことから
国産品は輸入品の5〜10倍の価格であった 1980年代からは収量アップの新品種の開発が加速しているが
自分自身の花粉では結実しない自家不和合性を持つソバでは 画期的な収穫量の大幅向上には至っていない
現在 収量増を図るため自家不和合性をなくし 自家和合性とする品種改良が行われている
昭和50年代中頃から地方において 水田稲作の転作作物として休耕田などを利用した栽培が増えるとともに
農業者戸別所得補償制度による政策が図られたため 国内での生産量は2010年以降は急増している
しかし 全消費量の内約80%は輸入品であり 中国産(約85%)米国産(約10%強)が大半を占める
日本での主要産地は 北海道・山形県・長野県・茨城県であるが 鹿児島県に至る全土に作付されている
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