2007.05.02  八十八夜

「~♪夏も近づく八十八夜~♪野にも山にも若葉が茂り」 立春から数えて88日目 茶摘みの時期である
我が家は元茶園にある 刈っても刈ってもお茶の木が生えてくるので「自家製茶」を作ることにした

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秋に咲く茶の花 オオスズメバチが蜜を求めて集まってくる

茶樹の種類は「藪北」である チャノキにも花が咲くが 茶園としては花を咲かしてはならないと言う
花を咲かせて子孫を増やそうなどと思わせないほど肥料をやり
数年で短く切って更新してしまうのが本当らしい
お茶の木は挿し木で増やす 受粉で出来る種子は既に混血種となっているからである

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茶はいつ日本に伝わったのかは現在でもはっきりしていない
薬用として禅の修行に用いられることから仏僧が関わっているとみられ
かつては中世期の鎌倉時代に僧・栄西によって 中国の宋からもたらされたのが最初と考えられていた

しかし最新の研究によれば すでに古代奈良朝の頃伝来していた可能性が強いとされている
ただ古代に伝わった茶は緑茶ではなく 半醗酵の纏茶(てんちゃ)であったと考えられ
今でも「茶色」という表現にそれが残されている

空海が平安時代初頭の大同元年(806年)に 唐から種子を持ち帰り製法を伝えたことや
同時代の最澄も持ち帰り栽培したという記録があるが 唐から伝わったのはやはり発酵茶の団茶であった

日本後紀では 平安時代の弘仁6年(815)嵯峨天皇の近江行幸の際
唐から帰朝した梵釈寺(滋賀県大津市)の僧・永忠が茶を煎じて献上したと記されている
しかし その後 遣唐使の廃止により 日本茶独自の進化が始まったとされる

中国では主に茶葉の酸化・発酵を止めるため釜で煎り殺青する 栄西が伝えたのはこの方法で
今でも佐賀では釜炒茶が主流であるが 日本での主流は蒸して殺青する方法が発達した
蒸した後手揉みし乾燥させたのが現在流通する煎茶で 最高級が玉露 最下級品が番茶とされるが
江戸時代まで流通していたのは番茶であった

抹茶は鎌倉時代に伝わり「わび茶」として武士階級に普及した
上方で好まれて飲む大和番茶や京番茶は 最後に刈り取った茶葉を使用するため
小枝混じりで葉が固く手もみできないため 蒸された葉を乾燥させ 釜で炒りあげる方法が採られている
京都の茶漬け(ぶぶ漬け)や大和の茶粥・茶飯には 煎茶ではなく この番茶が使用されている

アウトドアでは 荒っぽい方法であるが「あぶり茶」と言う枝ごと切り取り焚き火であぶり
鍋で煮ると美味しいお茶が飲める方法があるらしい

我が家では大和茶を使うほか 中華鍋を使い市販のお茶に比べて若葉の香りが少し口に広がる自家製の
「鍋煎り茶」を楽しんでいる

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