2011.12.21 徳島県鳴門市大麻町檜(ひのき) ドイツ村公園・ドイツ橋

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板東俘虜収容所
第一次世界大戦期 日本の徳島県板野郡板東町(現:鳴門市大麻町)に開かれた捕虜収容所
大戦中・青島(チンタオ:中国山東省・ドイツの租借地)で 日本軍捕虜となったドイツ兵4715名のうち
953名を大正6年(1917)から9年(1920)まで収容した 収容所長は会津出身・松江豊寿陸軍中佐
松江は捕虜らの自主活動を奨励し捕虜に対する寛大・公正で人道的かつ友好的な処置を行ったことで知られ
今日に至るまで日本で最も有名な捕虜収容所となっている 板東俘虜収容所を通じてなされた
ドイツ人捕虜と日本人との交流が 文化的・学問的さらには食文化に至るまで あらゆる分野で両国の発展を
促したと評価され その後20年余りの日独関係の友好化に大きく寄与した 収容所は多数の運動施設をはじめ
酪農場を含む農園・ウイスキー蒸留生成工場をも有し 志願兵であったドイツ人捕虜の多くが元は民間人であり
家具・時計・楽器職人・写真家・印刷工・製本工・鍛冶屋・散髪屋・靴職人・仕立屋・肉屋・パン屋など
職業は様々であった 彼らの多くは自ら作り出した製品を近隣住民に販売するなど 経済活動も許されており
欧州の優れた手工芸品や芸術活動を披露した 捕虜らが建てた小さなアーチ橋は ドイツ橋として今でも
現地に保存されている 文化活動も盛んに行われ 収容所内のオーケストラは高い評価を受けていた
ベートーヴェンの交響曲第9番が 日本で初めて全曲演奏されたのは板東収容所である
これらのエピソードは 東映から「バルトの楽園」として 2006年松平健主演で映画化されている
石碑文
この地は、第一次世界大戦に参加した953人のドイツ兵士が、(捕虜として)大正6年から9年まで
過ごしたところである。いまもなお、青々と生い茂っているセンダンの大木や、兵舎の基礎に使われていた
煉瓦積みが、そのまま残っている。広場の中央にある石積みの橋は、当時、ドイツ兵士がつくった
ドイツ橋を模したものてある。丘の上には、日本各地で死亡した85名のドイツ兵士の合同慰霊碑が建立されている。
ここが、市民の憩いの場となリ、あわせて日独友好の広場となるよう願っている。
昭和53年4月1日    嗚門市長 谷 光次
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