2010.09.26 佐賀県有田町白川1丁目 為朝橋

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佐賀新聞コラム「さがの眼鏡橋」につぎの記事が掲載されている(要約)
「白川上流に昭和33年から昭和36年にかけ 県内初の多目的ダムとして有田ダムが建設された
「有田町史」によると このダムの建設工事に伴い 6つの橋梁が建設されている いずれも昭和35年に
構築されているが残る一橋についての記載がない それではないかと思われる橋が「万寿橋」の少し下流に存在する
これが「為朝橋」である 「大蛇退治の主人公である鎮西八郎為朝の名を冠していること」と
「昭和35年の架設」という状況などから 他の橋と同様に有田ダム建設に伴うものではないかと推測されている
しかし 他の五橋がコンクリート製であるのに対し なぜかこの橋だけが石造であること しかも眼鏡橋という
伝統的な工法をとっていることは大きな特徴といえる しかも町道の橋としても異例の橋幅であることから
ダム建設に伴う大型車両の通行を念頭に置き計画されたものであろうか 平成の時代になって架けられた
「モニュメント的な眼鏡橋」を除くと 「一般の道路」に架けられたものとしては 県内で最も新しい
眼鏡橋でもあり その点でも貴重である」と このように書かれてはいるのだが
橋のたもとに暮らす高齢者の話では 既に幼少の頃にはこの橋があったとのこと また洪水で
欄干の一部が流されたこともあったという 白川の氾濫がダム建設後もあったのかは不明だが
記録に残された昭和28年の洪水なら上記の事柄はあてはまらない 確かに上流の「万寿橋」はアーチ橋ではあるが
コンクリート製のようである 昭和35年という年代を考えれば あえてコストのかかる
石橋を架橋したとは 俄に信じ難い 橋名の「為朝」は 黒髪山伝説のひとつである「源為朝の大蛇退治」に因み
命名されたと考えられる また山麓には明治41年まで存在した「真言宗黒髪山大智院」があり
黒髪山信仰との関係も考えられるのではないかと思われる
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道路と橋は白川1丁目 右側の家並みは2丁目となる
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上流側 白川は蛇行を繰り返す
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下流側から撮影
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右岸の護岸壁と石橋との兼ね合いも 昭和35年に工事をしたとは思われない
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