<地図>
近世山陽道は徳川幕府により 京都羅城門から赤間関(下関)に 至る街道として 律令時代からの山陽道を
再整備したものである 一般的には京都から大阪に至る京街道を除き 大阪高麗橋元標を起点として
別名・西国街道とよばれていた 一宿目の西宮から赤間関宿(下関)まで数えて45宿の道のりである
(京の都から数えると 大阪を含め51宿50次を数える)
定めにより道幅は二間半(約4.5m)と決められていた 赤間関から馬関海峡(関門海峡)を渡り豊前小倉を経由し
長崎街道へと通じることから 東海道に次ぐ重要な街道に位置づけられていた また西国大名にとって参勤交代の
重要な街道であった 矢掛宿は小郡宿・山中宿を経て西宮宿より数えて15番目の本宿である
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本陣・脇本陣の旧家を除けば何もない メインストリートも田舎町の銀座通りで古い街道を感じない
町全体が 宿場町の情緒を拒否する そんな趣の 中途半端な所が居心地を悪くする
2013.12.04 岡山県小田郡矢掛町矢掛(やかげ) 矢掛宿の石橋
美術館通り歩道の石橋
裏通りの石橋
裏通りの石橋