2009.10.18  熊本県大津町大津875  光尊寺橋

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上井手 (堀川) と光尊寺橋
熊本藩主加藤忠広は父清正の遺志を継いで元和4年 (1618) 堀川の開削に着手 瀬田銅倉の瀬に
取入口を設けて多くの難所を排除しつつ工事を進めましたが 寛永9年お家取潰しにより中断しました
かわって藩主となった細川忠利が遺業を継ぎ 寛永13年 (1636) 工事を再開 次代光尚により坪井川まで
全長約24kmの「上井手」 (菊陽町原水玄蕃橋より下流は「堀川」と云う) が完成 大津・菊陽・合志の原野は
約460haもの広大な穀倉地帯に変容していきました このことは肥後3大御倉の1つ大津御倉が置かれたことが
如実に物語っています 以来上井手に沿って集落が形成され「塘町筋」と呼ばれ 物資集散の場所として
大津手永会所の所在地として政治経済の中心地となり また参勤道 (豊後街道) の宿場町として繁栄を続けました
上井手の本流や用水を配る分流には 水流を利用した水車が往時20余輪を数え精米・製粉・製材等の動力源として
地域産業発展の基礎となりました 後に米粉加工による郷土銘菓銅銭糖の誕生をみることにもなります
 北岸の光尊寺は 承応2年 (1653) に藩主綱利により宿駅安定のために開基された古刹です
また その山門に架る光尊寺橋は 文化12年 (1815) 架設で上井手に現存する石橋の中でも
貴重な単一眼鏡橋として町文化財に指定されています 古い親柱に「山鹿郡下内田村石工」と刻んであり
県北山鹿市鹿本町下内田にいた石工集団が造った橋であることがわかります
街並の歴史を感じさせる界隈です  平成21年10月1日 大津町教育委員会
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<左上>県道から光尊寺側
<右上>光尊寺門前から県道
<左>親柱文字 寄進 中嶋熊作 中嶋友太郎
   明治14年12月建設
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<上・左>上流側から撮影
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