2011.05.31  熊本県御船町木倉(きのくら)  門前川眼鏡橋

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江戸時代 日向往還の要路として架橋されたものである 長い間架橋年代・石工とも不明であったが
1998年に 文化5年(1808)の架橋石工は理平の弟子・理左衛門と判明した
御船川目鑑橋(1988年流失)が弘化4年(1847)の架橋であることから
それより40年近く古い  植木町の豊岡橋(享和2年・1802)等 数例しかない楔石工法で築かれている
特徴は切石の一つ一つを丁寧に川石でつなぎ 石には番号が記されている
 橋の長さは7m 幅2.6m 水面からの高さ4.6mである 現存する県内の楔石工法の中では豊岡橋についで
二番目に古い 昭和初期 県道改良工事にあたり本来の位置から移される事になったが 当時の松村熊喜村長らが
計画の変更を申し入れている 当初の計画では眼鏡橋を取り壊し 西往還から来た道路を直線で
現・木倉小学校入□まで伸ばすことになっていた 今は松村村長らの要望にそって新しい橋がかけられ
二本の道路が川をはさんで平行に走っており 眼鏡橋は歩道として残され 今も利用されている
日向往還関連事業期成会記念碑
日向往還は古く 肥後(熊本)と日向(宮崎)を結ぶ重要な術道であったが 門前川は地形上大雨が降ると
一気に増水するため通行できなくなることがたびたび起きていた それを見かねた惣庄屋光永円右衛門惟影は
文化5年(1808)城南で最初の目鑑橋を架けた 石工は肥後の目鑑橋の開祖といわれる城北(現山鹿市菊鹿町)の
仁平(元文2年頃生 寛政2年没)の技術の流れを受け継いだ一門と推測される 門前川目鑑橋は中国式の工法を用い
アーチを形成する輪石一つひとつを楔石で緊結し さらにアーチを二重にしアーチ全体の変形や崩壊の予防対策が
講じられている 門前川目鑑橋は明治初期 県道(現在の国道445号)が開通するまで日向往環として利用された
その後も 昭和5年(1930)県道改良工事が竣工するまで 当時の木倉村民はもとより 上野 田代などの人々の
大切な橋としての役割があった また旧陸軍の兵舎が田代浅の藪に置かれていたことから
大矢野原演習場に行く部隊も利用した 昭和初期の県道改良工事にあたり 熊本県は目鑑橋を取り壊し
新しい橋を架け替える計画であった しかし当時の木倉村長松村熊喜氏らが計画の変更を申し入れたため下流に
新しい橋が架けられた こうして二本の道路が川をはさんで平行に走ることになり目鑑橋は歩道として残された
目鑑橋を当時のまま残すということは 橋を架設した先人の精神をそのまま受け継ぐことであり
今後も木倉校区の誇りとして また重要文化財としてこの目鑑橋の保存に努めなければならない
架橋200年にあたり木倉校区民の総意によってこの碑を建てる 平成20年3月吉日
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