2012.04.03 兵庫県佐用町平福  智頭往来(因幡街道)平福宿の石橋

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今に残る町並みは 江戸時代初期に池田氏により城下町として整備されたものだが 寛永8年(1631)には幕府
による一国一城令により利神城(りかんじょ う)が廃城となり 城下町としての歴史は約30年と短命であった
その後陣屋や鳥取藩本陣が置かれ 因幡街道(智頭往来)有数の宿場町として発展する ま た流通集積地として
因幡や美作方面から送られた荷を 佐用川の水運を利用し高瀬舟に積み替えて赤穂まで送っていた
南北1.2kmの区域にある家屋300戸余りの約8割に屋号がつく商人の町となり 昭和初期まで出雲・因幡両街道
および佐用の中心として繁栄したが 鉄 道が敷設されなかったため衰退し流通集積地としての地位を失う
平成6年(1994)に漸く智頭急行が開通し平福駅が設置された 往時の面影を伝える旧街 道沿いにある連子窓や
千本格子を持つ古い家並みと 水運で賑わった土蔵や納屋の下から川岸への通路など 山の中の港町ともいえる
独自の景観を持ち 川沿い の石垣上の川座敷と土蔵群は 町の歴史的環境保存条例の保存区域指定を受けている
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本陣跡の石橋
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暁光山 光勝寺 門前に石橋 山門は利神城の門を移したものと伝わる
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