2010.03.12  福岡県小郡市福童  大中臣(オオナカトミ)神社参道橋

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大中臣神社楼門
木造入母屋造二層 瓦葺 高さ 約10.6m  縦 約4.06m 横(含回廊)約22.4m
小郡市文化財指定    平成3年9月19日
平安時代の斎衡三年(856)作成の築後国神明帳(高良下宮社神明帳)に「西福童大中臣神」の神名が
記載されており、今から千百年以上昔既に神社が存在したことを証するもので、
寛文10年(1670)久留米藩社方開基によれば、社殿その他建造物として
「楼門九尺二間茅葺にて後座候」とあるのを見れば、当時楼門も建立されていたことがわかる。
 ところが文政11年(1828)8月前代未聞の猛烈な台風が当地方を襲い、家屋・立木・田畑等に
甚大な災害を被り、楼門も恐らく倒壊したであろうと思われる。そこで7年後の天保6年(1835)
甘木の藤次郎を棟梁として工事に着手12月に上棟したと記録されている。
 小郡市内34社中現存する楼門は、大板井の玉垂御子神社、三沢西島の寵門神社と当社のみで、
しかも、他の二社のものに比べ規模の雄大さ、美観はもとより神社の景観、尊厳、壮厳維持の面からも、
市内は勿論、河北地方においては随一の結構で、
江戸時代後期の建築技術を知る上で、学術的にも極めて貴重な建造物である。
平成5年4月27日
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池を渡る参道橋
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境内側から撮影
西側
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東側
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明治廿二年三月架之福童村産子中 架橋は西暦1889年である
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満開の梅と橋
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県指定天然記念物福童の将軍藤
昭和45年5月2日指定
 この藤は根元周囲3メートル、胸高周囲2メートルで、地上1.7メートルから幹が分岐し
高さ2メートルの棚の上に枝が広がり、その被覆面積は204平方メートルに及ぶ。
樹勢は旺盛で、樹齢は約650年と推定される。
 正平14年(1359)、南朝の征西将軍宮懐良親王・菊池武光と北朝の少弐頼尚の両軍が激突した
大保原合戦で懐良親王が手傷を負った際に、その快癒を祈って大中臣神社に祈祷したところ、
その加護で全快したことに謝し、この藤を奉納したと伝えられている。
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