2010.02.24  長崎電気軌道株式会社

長崎の歴史
長崎港は 元亀2年(1571)大村 純忠によって開港されポルトガル船の寄港地となった
天正8年(1580)には 純忠が領内の長崎港周辺と茂木をイエズス会に寄進しイエズス会支配領となった
天正15年(1587)豊臣秀吉によってバテレン追放令を布告 翌年に長崎を直轄領とし南蛮貿易を独占
慶長10年(1605)徳川幕府が直轄領を引き継ぎ 他藩の貿易を禁じて徳川家による貿易独占が始まった
この意味では「鎖国」という制度は存在せず 貿易の独占という施策で平戸と長崎が貿易港となった
慶長17年(1612)禁教令が発布され 南蛮貿易の窓口はオランダ国に限定 出島が居留地に指定された
ただしキリスト教徒でない中国人は 市街地に居住することが許され唐人町が出来た
明治3年(1870)外国人居留地が完成 明治22年(1889)長崎市が発足 明治32年に居留地を回収した
長崎電気軌道株式会社
1914年に開業した長崎電気軌道は 現在5系統 総距離11.5kmを有する路面電車である
軌間(ゲージ)は新幹線と同じ世界標準軌の1435mmが採用された 電力は直流600V
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開業時の1形1号電車 昭和28年まで運行
長崎市街地は 浦上川とそれに続く深い入江に沿う南北の谷間と中島川の扇状地に形成された
このように周辺を急斜面の崖地に囲まれた狭隘な地形は 公共交通機関を運営するにあたって
集客には有利に働いた 短い路線で市街地を網羅し均一運賃や車の軌道内進入禁止・広告収入などにより
短絡路線にも関わらず今も黒字経営を続けている
路面軌道ではあるが 本線の原爆資料館−岩屋橋間はJR長崎本線の高架と並走する専用軌道となっている
原爆資料館停留所に隣接して長崎路面電車資料館がある
また平和公園停留所には「パーク・アンド・ライド」指定の長崎市営松山町駐車場があり
駐車場窓口で一日乗車券が購入できるので便利である
駐車料金は2時間超1回620円 7時30分〜22時まで 以降は通常料金 JR高架下地上部のみ24時間営業

● 沿革
大正03年(1914)8月長崎電気軌道株式会社 資本金50万円で発足
大正04年(1915)11月病院下(大学病院)−築町(新地中華街付近)間開業
大正05年(1916)12月千馬町(新地中華街と出島の間)大浦町(仮)間開通
大正06年(1917)6月大浦町(仮)−出雲町(石橋)間開通
大正08年(1919)12月長崎駅前−桜町(桜橋付近)間開通
大正09年(1920)7月桜町−馬町(諏訪神社)間開通・病院下−下の川(長崎西洋館付近)間開通
12月古町(市民会館−諏訪神社間)−築町間開通
大正10年(1921)4月西浜町−思案橋間開通 6月・思案橋終点に洋風3階建てのビルを建設
昭和08年(1933)12月下の川−大橋間開通
昭和09年(1934)12月諏訪神社前−蛍茶屋間開通
昭和20年(1945)8月原爆投下により全線不通 車両16両焼失 職員120人死亡
11月長崎駅前−西浜町−蛍茶屋間が復旧
12月千馬町−石橋間が復旧
昭和21年(1946)1月長崎駅前−小川町−古町間が復旧
2月長崎駅前−浦上駅前間が復旧
昭和22年(1947)5月原爆で壊滅的被害を受けた浦上駅前−大橋間が復旧
昭和25年(1950)9月浦上方面の人口増加に伴い 大橋−住吉間開通
昭和28年(1953)7月西浜町−思案橋間が復旧
昭和35年(1960)5月住吉−赤迫間開通
昭和43年(1968)6月思案橋−正覚寺下(現・崇福寺)間開通
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一日乗車券を使って朝から夜のランタン・フェスティバルまで一日中市内をめぐる
車は思案橋駐車場へ入れた AM9:30〜PM20:30まで 1.150円であったが 長崎電鉄正覚寺下駅に
電鉄経営の駐車場があり こちらだと 1.000円 また長崎市営パークアンドライド駐車場は一日620円
Link:長崎市営パークアンドライド駐車場案内
コース
正覚寺下〜賑橋<歩>蛍茶屋〜新大工町<歩>新大工町〜市民病院前<歩>出島
〜思案橋<歩>思案橋〜築町<歩>市民病院前〜賑橋<歩>
乗車6回×120円=720円 結果220円の得
やはり割安感はあります そして降車時に見せるだけなので煩わしさもなく便利である
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崇福寺駅(旧正覚寺駅)
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蛍茶屋駅車庫
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幕末から明治初め頃の「蛍茶屋」
長崎街道日見峠への一ノ瀬口 アーチ石橋は承応2年(1653)に架橋された
文化文政(1804〜1829)の頃 甲斐田市左衛門によって この地に旅人歓送迎の茶屋が始められた
橋が架けられ 長崎街道の出入り口となって 出迎える者 見送る者で賑わった
幕末から明治初期の二代目政吉の頃が最盛期となった 蛍の名所だったので 蛍茶屋と呼ばれた
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新大工町
車両一覧
写真及び参考資料は長崎電気軌道公式サイトから
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●150形151号車 大正14年(1925)服部製作所製
 旧箱根登山鉄道小田原市内線モハ202号
 昭和32年(1957)小田原市内線廃止に伴い車長を
 11.0mに短縮改造の上譲受
 昭和48年(1973)台車をKS−40Jに交換・低床化
 2020年10月「小田原ゆかりの路面電車保存会」に
 車体部分を譲渡 小田原市内に静態保存
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●160形168号車 明治44年(1911)川崎造船所製
 台車:米国J.Gブリル社製 電動機:米国G.E社製
 旧西鉄福岡市内線153号
 昭和34年(1959)譲受
 車齢100年超・日本最古の木造ボギー車ながら現役
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●201形 昭和25年(1950)日立製作所製
 4両 201・203・207・209号車
●202形 昭和25年(1950)日本車輌製造製
 3両在籍 202・208・210号車
 車両の大型化を目指し製造された初のボギー車
 製造後半世紀以上経つが今なお主力車両である
 昭和40年代にワンマンカーへの改装時に
 前照灯を屋根から窓下に移設した
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●201形207号車 昭和25年(1950)日立製作所製
 CITY CRUISE AKARI・「あかり」号 総員20名
 NSS 長崎船舶装備株式会社の創立75周年の
 2018年度記念事業として
 2020年1月に「ビー ル電車207号」をリニューアル
 2人・4人のグループ単位を基本としたレイアウトに
 車内のインテリアは船旅を連想させるような
 落ち着いた色調の家具色でまとめている
 外装も、あざやかな赤と紺色のカラーリングで
 夜間運行時のみならず 昼間の運行でも
 長崎の街並みに映える外装とした
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●211形 昭和26年(1951)日立製作所製
 6両 211−216号車
 住吉延伸に伴う沿線人口増加に対応するため
 201・202形の増備車として製造された
 車両形態も201・202形に準ずる
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●300形 昭和28年(1953)日立製作所製
 10両 301−310号車
 サービス面の充実と車両の増備を図るため導入
 前形式の211形と同寸法・同形態であるが
 当初から前照灯を窓下部に設け
 方向幕を中央位置に設置
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●300形310号車 昭和29年(1953)日立製作所製
 水戸岡鋭治デザイン「みなと」号
 JR九州の「ななつ星in九州」をはじめとして
 多くの鉄道車両を手掛けた水戸岡鋭治氏のデザイン
 310号車をリニューアル 2017年4月10日運行開始
 通常運行しており 運が良ければ遭遇できる
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●360形 昭和36年(1961)日本車輌製造製
 7両 361−367号車
 初の全金属製車で中央扉とした
 Z形パンタグラフの搭載 室内灯・方向幕灯を
 蛍光灯にするなど車両の近代化が図られた
 昭和36年度に新製されたので360形と命名
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●370形 昭和37年(1962)日本車輌製造製
 7両 371−377号車
 360形の改良形として増備された車両
 尾灯を前部方向幕横の上部に移設した
 昭和37年度に新製されたので370形と命名
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●500形 昭和41年(1966)ナニワ工機製
 5両 502−506号車
 初のワンマンカーとしての運行を開始した車両
 車体のみ製造 台車・電装機器は
 大阪市交通局1700形より転用 中央扉は引戸式
 運転台に大型窓を採用し角ばったデザイン
 501号車は平成26年(2014)老朽化により廃車
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●600形601号車 昭和28年(1953)新木南車両製
 台車は住友金属製
 旧熊本市交通局171号
 両端扉・車長11mで他車と異なるため廃籍された
 昭和44年(1969)に2両譲受しワンマン改造
 昭和62年(1987)1300形導入に伴い602号が廃車
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●700形701号車 昭和30年(1955)ナニワ工機製
 旧東京都交通局杉並線2018号
 昭和44年(1969)同形6両譲受
 平成7年−10年(1998)老朽化のため5両廃車
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●1050形1051号車 昭和27年(1952)新潟鉄工所製
 旧仙台市交通局96号・後に117号に改番
 仙台市交通局軌道線の全廃により
 昭和51年(1976)同形5両車体のみ譲受
 台車は西鉄北九州線 K−10型に換装
 平成2年−12年(2000)老朽化のため4両廃車

 株式会社「西武園ゆうえんち」に譲渡
 昭和の町アトラクション「夕日の丘商店街」に展示
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●1200形1201号車 昭和57年(1982)アルナ工機製
 アルナ工機は旧ナニワ工機で現在はアルナ車両
 昭和57年 老朽車の置き換え目的の車体更新車
 ベースは2000形 西鉄北九州線の台車を転用
 車体更新車のため直接制御方式で製造された
 扉は2000形の両開きではなく片開きとし
 客室はすべてロングシート

●1200A形 平成15年〜17年改造
 4両 1202−1205号車
 制御方式を直接制御から間接制御にした
 乗り心地・メンテナンス性を向上させた
 *写真は1200A形1204号車
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●1300形 昭和62年(1987)−平成元年(1989)
 アルナ工機製 5両 1301−1305号車
 1200形の改良形として製造された車両
 形態的には ほぼ同一だが
 同じく転用した西鉄北九州線の台車が異なる
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●1500形 平成5年(1993)−平成9年(1997)
 アルナ工機製 6両 1501−1506号車
 車体を新造 西鉄北九州線の台車を転用し
 高出力のモーターを搭載した車両
 1200形・1300形は縦向きの前照灯・尾灯だったが
 1500形では横向きとしたためフロントのデザインが
 一新されている他 客席窓の大型化が図られた
 パンタグラフはシングルアームを採用

●1500A形1507号車 平成22年(2010)改造
 間接制御に変更
 *写真は1500形1502号車
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●1700形 平成11年(1999)アルナ工機製
 2両 1701・1702号車
 廃車された700形の台車を転用し車体を新造した車両
 初めて足踏み式のデッドマン装置を装備
 1500形と想似するが 車椅子用にドア幅を拡大した

 デッドマン装置は 操作者が死亡・意識不明などの
 事態に陥ったときや 不用意に運転席を離れた際に
 自動的に安全作動・あるいは停止して
 事故を未然に防止する装置である
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●1800形 平成12年(2000)−平成14年(2002)
 アルナ工機製 3両 1801−1803号車
 西鉄北九州線の台車を転用し 高出力のモーターを
 搭載して車体を新造した車両
 運転台は湾曲した一枚ガラスを使用し洗練された
 フロントデザインとなっている 初の間接制御車で
 コントローラーはマスコンを採用した
 尾灯をLED化され サイド方向幕は大型化され
 経由地が表示できるようになった
 扉は2000形以来の両開き式で乗降時間が短縮された
 車内には握り棒を設置し混雑時の利用に配慮した
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●3000形 平成15年(2003)−18年(2006)
 アルナ車両製 3両 3001−3003号車
 国内技術では初めて台車部分を含む客室の100%の
 低床化を実現した超低床路面電車で
 長崎電鉄初の連節車でもある
 外装面と面一となるプラグドアを採用
 車内に跳ね上げ式の車椅子スペースを設置
 案内装置をLED化
 電停と乗降口の段差は約7cmで床がほぼフラットで
 バリアフリー化された
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●5000形 平成23年(2011)−平成31年(2019)
 アルナ車両製 2両 5001・5002号車
 3000形より車長が1.2m長くなり 定員も10名増加
 最小通路幅も8cm拡大 車内傾斜も緩やかになった
  ブレーキ方式は、電気指令式空気ブレーキで
 ブレーキ使用時はブレーキランプが点灯する
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●87号車 昭和25年(1950)日本車輌製造製
 平成27年(2015)202形204号を改造
 イベント用花電車・広告車などに使用される
 デッドマン装置を新設し安全性の向上を計る
 車長が2m長くなり荷台スペースが拡大された
 運転席は屋根付きとなった
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