2023.05.02 大分県玖珠郡玖珠町大字山田 伐株山(きりかぶさん) 標高 685.3m
伐株山は 耶馬・日田・英彦山国定公園にあって
北から南へ向かって 緩い傾斜で高度を上げる細長い山頂部を持つメサ(卓状台地)である 北側の町中から見る
山容が巨木の切株に似ていることから「伐株山」と呼ばれている
メサのうちでも浸食が進んで頂部が狭まったビュート(孤立丘)と呼ばれる地形で 二重メサの万年山と同様
その特徴ある姿から 共に玖珠町のシンボル的な存在となっている 玖珠には 他に大岩扇山・小岩扇山・宝山
青野山・角埋山などメサを持つ山が多数あり 全国的に見てこれだけメサやビュートが集中している地域は珍しい
山頂には 南北朝時代に南朝側の拠点となった玖珠城(伐株山城・高勝寺城)の土塁跡が残っている
天平5年(733)頃に編纂の『豊後国風土記』に「玖珠郡 郷参所 里九 驛壹所 昔此邨有洪樟樹因曰玖珠郡」
とある 意は 「玖珠郡 郷は参所 里は九 駅は壹所なり 昔 此村に洪き樟樹あり 因って玖珠郡と曰ふ」で
この記載が 村から見た山容を切株に例えられ 大クスノキの伝説に繋がったとされる
『豊後傳説集 全』に記される大クスノキ伝説は以下の話であるが 後に下流側の日田・筑後で尾鰭が付いた
玖珠の森に來留島と云ふ殿様が居た。 或る時、城下の山の樟の大木を切り倒すようにと命令したので、
毎日樵夫の手で少しずつ伐られていった。 けれど不思議なことに翌朝行ってみると、前日切った木片が
切り口について、元通りの木になってゐるのだった。 此処にキキリベットと云ふとても大男の樵夫が居た。
人々が「キキリベットに伐らせたら」と云ふので、遂に命を受けて伐る事になった。毎日毎日一生懸命に伐り、
一日の仕事を終へた後その日に伐った木片を焼き捨てた。 かうして数日の後、かの大木も見事に伐り倒された。
けれど木が倒されたとたんにキキリベットは刎ねとばされて山國川に落ちて流れた。
下流の人々は見慣れぬ大男の死体が流れて來たので、これを上げて神様として祀った。
今樟の大木があった山を伐株山と云ひ、そのすぐ側に樟を燒いた灰で出來たと云ふ小さな山がある。
中世に特異な山容から山岳信仰の拠点となり 真言密教道場として洪樟寺が建てられたが山岳信仰の衰退に伴い
山上は荒れ果てた 明治になって切株山の開祖とされる梅木栄治氏によって伐株山一帯が霊場として整備され
信仰厚い人々により数々の仏塔石仏が建立または安置された 山上に至る登山道(参詣道)は北部と南部にある
4.ハイジのブランコ 5.アンテナのある山頂部 6.伐株山頂駐車場


伐株山は 約75万年前〜13万年前に噴出した流紋岩質溶岩や火砕岩で構成されるメサである
基盤となる中新世玖珠層群の上に 強固な流紋岩を主体とする火山岩が覆いかぶさり 後に周囲が浸食されて
切り立った崖の「ビュート」と呼ばれる地形を形成した 万年山同様 下層部に安山岩 上層に流紋岩が分布



後で入ろうと思ったが エアコンは装備されてはいるが 今の季節は稼働期間では無いので室内はとても暑い





針の耳
ここから尾根伝いに下る道を「針の耳」コースといいます。 中世、このあたりには、高勝寺というお寺があり、
この険しい山路は、かって修業僧や信者が往来していました。
この道すじには、自然に出来た岩はだに、多くの小さな穴があり、人々はこの穴を見て、いつしか「針の耳」と
呼ぶようになりました。 両側には多くのお地蔵さんや、岩に掘りこんだ仏像などがあります。
この先「針の耳」の山道は、途中鎖に掴まったり、崖横を通ったり、降雨・降雪時は特に危険です。
滑りやすい靴の方は絶対に通らないでください。
普段から山登りをされている方(中級者以上)、も注意してください。
供養碑建立縁起
ここ伐株山は南北朝から戦国の時代、玖珠郡を守る為、主要な枝城の役割を果たした。 特に建武3年(1336)と
天正14年(1586)に大きな戦いがあり、数千の人名が失われ数多くの悲話も語り継がれている。
いま、伐株山頂が玖珠町民のみならず多くの人たちの憩いの場となっている。
古の霊を慰め、安らかな眠りを祈る事が、現代人の責務であろう。
ここに地元有志の願いを込めて供養碑を建立、併せて盛大な慰霊祭を行う。
昭和58年(1983)11月13日
登山者が足を乗せるため削れて丸くなっている 貴重な三角点標識である 足は乗せないで欲しい
観光列車「ななつ星in九州」で知られる水戸岡鋭治氏デザインの休憩スポット








