2026.04.08 奈良県五條市新町 重伝建 五條新町 街歩き
重要伝統的建造物群保存地区 五條新町
五條新町は町名ではなく重伝建保存地区の名称である 保存区域は 西から二見4丁目・二見1丁目・新町2丁目
新町1丁目・本町2丁目・五條1丁目の範囲にまたがるためこの名が付けられた
宇智郡賀美郷五條は吉野川の流域に位置し 大和・紀伊国と伊勢や吉野を結ぶ中継地として古代より重要視され
律令制による大和国宇智郡の中心地として発展した 郡には他に阿陁・那珂・資母の3郷があり現五條市域に入る
現代に至る五條の町並みは 中世期に起源を持つ御霊神社の御旅所を中心に広がった道筋に 間口や奥行が様々な
町家が面状に広がり発展した 江戸時代初頭には 人馬の継ぎ立てを行う伝馬所が設けられた
御霊神社は現在の五條市霊安寺町あり かつては広大であった吉野皇后・井上内親王陵の遙拝所であった
井上内親王は 聖武天皇の皇女として生まれ 5歳で伊勢皇大神宮の斎王となり のちに白壁王の妃となった
宝亀元年(770)に白壁王が第49代光仁天皇に即位し皇后となった しかし過酷な政権争いに巻き込まれ
無実の罪により 皇太子の他戸親王とともに宇智郡に配流幽閉された 配流中に火雷神を生んだと伝わる
宝亀6年(775)4月25日に暗殺され逝去した その後 都に天変地異が起こり悪疫が流行したため
朝廷は内親王母子の祟りと恐れ 内親王を皇后に復し祟りを收めようと墳墓を広大な御陵に改造
遙拝所として御霊神社および神宮寺の霊安寺を創建した 霊安寺は 明治の廃仏毀釈によって廃されている
鎌倉時代の嘉禎4年(1238)に御霊神社は10社に分祀された 二見御霊神社はその10社のひとつである
以降 400年余りの間にも増え続け 宇智郡内に23社の御霊神社が創建され 元々の御霊神社は本宮とされた
祭神は 井上内親王(いかみないしんのう)・他戸親王(おさべしんのう)・早良親王(さわらしんのう)の
三大怨霊神で 丹生川対岸に別宮として内親王の配流中に誕生したとされる火雷神(ほのいかづちのかみ)を祀る
慶長13年(1608)「関ヶ原の戦い」の論功により松倉重政に1万石余が与えられ大和五条藩が立藩された
重政は 中世に築かれた地頭・二見氏の居館跡を近世城郭に改築し二見城とした
同時に宿場町として栄えていた五條と二見城間の街道筋に 五條とは違った間口と奥行きを統一した町割りを行い
新町と名付けた また諸役免許を発布して商人を集め繁栄の礎を築いたとされる
元和2年(1616)に肥前島原の日之江城へ転封となり二見城は廃された
以降の五條と新町は幕府領となり商家町として発展した 寛政7年(1795)には 代官所が五條に置かれている
明治維新後の慶応4年(1868)奈良府の管轄となり 以降は奈良県・五條県・堺県・大阪府と管轄が変遷した
明治13年(1880)4月 堺県での施行により行政区画としての宇智郡が発足 五條村に五條郡役所を設置した
明治20年(1887)11月 廃止から復活した奈良県(第2次)の管轄となった
明治22年(1889)4月 町村制の施行により五條・須恵・新町・二見・大島の5村が合併して五條町が発足した
昭和32年(1957) 五條町と牧野・北宇智・宇智・大阿太・南阿太・野原・阪合部の7村が合併し五條市が発足
4.まちなみ伝承館 5.まちや館 6.五條代官所跡 7.日帰り温泉・金剛乃湯 8.レストラン 花ふぶき
幻の五新鉄道
明治末期、五條市から新宮市までを結ぶ「五新鉄道」の建設熱が高まりました。 昭和12年(1937)から着工され、
吉野川横断の橋脚、生子トンネルの貫通まで至りましたが、太平洋戦争が始まり資材不足等の理由で、
工事は中断されました。 戦後、工事が再開され、昭和35年(1960)に五条城戸間の路盤工事が完成し、
軌道施設等の工事を残すのみとなりましたが、経済社会情勢等の変化によって、
五新鉄道の夢は叶うことなく、工事は終了となりました。
その後、跡地の一部は路線バス専用道路や、大学の研究機関により宇宙線観測所として利用されていました。
また、平成9年(1997)にカンヌ映画祭カメラドール賞を受賞した映画「萌の朱雀」では、五新鉄道と西吉野の
雄大な自然等が物語の舞台になり、 平成20年(2008)に上映された映画「花影」では、ロケ地になりました。
五條市

見える橋は 国道168号線の大川橋
新町の礎を築いたことに感謝する顕彰碑 しかし転封先の島原では領民に苛酷な圧制を敷きキリシタンを厳しく弾圧
嫡男勝家も領民に対し 父以上の残酷な年貢取り立てとキリシタン弾圧を行った
また 幕府の歓心を得るために4万石の取立て高を10万石と過大申告するなどの悪政を貫き キリシタン以外の
領民にとっても島原はまさに地獄となった 圧政は「島原の乱」を誘発し 幕府の鎮圧によって3万7千人が
殺戮され 島原藩は領民の大半を失った 領主の松倉勝家も幕府の激怒をかい切腹も禁じられ打首の刑に処された

緑のおじさんは新道交法の「キャンペーンゆるキャラ」のようだ
鉄屋橋(くろがねやばし)は かつて橋の近くにあった「鉄屋」という鉄器・鉄材を扱う商家に由来
享保元年(1716)創業 主屋で元禄17年(1704)の棟札が見つかっている
日帰り温泉「金剛乃湯」で入浴 リバーサイドホテルのレストラン「花ふぶき」で昼食
客は多かったが あまり美味いとは感じなかった 現在時刻 13:30
岡山県真庭郡新庄村 道の駅 がいせん桜新庄宿まで 280km 約4時間の距離 夜桜見学には充分間に合う







