2026.04.07 奈良県宇陀市大宇陀 重要伝統的建造物群保存地区 宇陀松山地区

宇陀松山

古代の宇陀郡(うたごおり)は 大和国の東部に位置し 現在の宇陀市や曽爾・御杖村などがその範囲に含まれる
日本神話の時代から飛鳥・奈良時代にかけて 重要な役割を果たしてきた地域で
「郡の始まり宇陀郡」と古くから語り継がれるほど歴史は古く 神武天皇東征の重要な拠点として『古事記』や
『日本書紀』に記されている また神武天皇の道案内をした八咫烏は 宇陀の在郷氏族の伝承に由来するとされ
宇陀市内には 最も古い「八咫烏神社」が鎮座している  飛鳥時代 松山城阯のある城山西側一帯は
阿騎野(あきの)と呼ばれた宮廷の薬草狩場で 推古天皇や文武天皇などがこの地で薬草を採取したと伝わる

秋山城は 宇陀郡を支配する国人領主・秋山氏の本城として 少なくとも南北朝時代には築城されていたと思われ
現在に続く町並みは この城下町を起源としている 天正13年(1585) 豊臣秀長の大和郡山城入部により
秋山氏は伊賀に追放され 秋山城は豊臣家・重臣の居城となった
関ヶ原の戦い後は 福島正則の弟・福島高晴が3万石に加増されて入城した 城郭には大規模な改修を加え
城下町の町割りと整備も進められ 地名を「松山」に改めた しかし慶長20年(1615) 大坂夏の陣において豊臣方に
内通した嫌疑等によって改易され城は破却された 福島高晴改易後の宇陀郡は 織田信長の次男信雄が移封され
宇陀松山藩が立藩された 織田信雄は松山の対岸・長山に陣屋を構え藩政を執行した
その後二代目藩主の高長が 寛文11年(1671)に春日神社西側に向屋敷を 貞享2年(1685)に神社北側に上屋敷が
それぞれ造営され 続く長頼・信武に至る80年間 織田家の執政が続き栄えた
元禄8年(1695) 織田家が丹波国柏原に移封され 以降 慶応3年(1867)の大政奉還に至るまで幕府領となった

明治初頭 奈良県は目まぐるしい行政の変遷に晒された
明治元年(1868)年2月 大和鎮台を設置 後に奈良県から奈良府となり大和国の幕府・旗本・寺社領地を管轄した
同年9月には 再び奈良府が奈良県となった 明治4年(1871)の廃藩置県では 各藩領が県となり奈良県を含め
大和国には10県の行政県が出現したが 明治5年(1872)1月 全域が奈良県に統合された
明治9年(1876) 第2次府県統合により堺県の管轄となり奈良県は消滅した
明治13年(1880)4月 郡区町村編制法の施行により行政区画としての堺県宇陀郡が発足
十市郡・式下郡・宇陀郡の郡役所が式上郡三輪村に置かれた 明治14年(1881)に大阪府の管轄となり堺県が消滅
明治20年(1887)11月 奈良県が復活され同県の管轄となった 明治22年(1889)4月 町村制の施行により
万六・出新・拾生・上新・中新・上・上中・上本・上茶・下茶・下本・下中・下出口・小出口の松山14町が合併
新制の松山町が成立 昭和17年(1942) 松山町と神戸・政始・上龍門の3村が合併し大宇陀町が成立 松山町消滅
平成18年(2006) 大宇陀・菟田野・榛原の3町と室生村が合併して宇陀市が発足 同日大宇陀町が廃止された

宇陀松山は 江戸期を通じ地域経済の中心として繁栄し 宇陀和紙や吉野葛など周辺地域の特産物を集積販売する
商家が数多く建ち並び「松山千軒」「宇陀千軒」とも称されるほど繁栄した 宇陀松山地区は近世城下の商家町から
在郷町へと発展し 近世から昭和前期までに建てられた町屋をはじめ 土蔵や寺社などの建築群・石垣や水路などが
良質な歴史的景観を作り今に伝えていることから 重要伝統的建造物群に選定され現在も保存事業を進めている

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重伝建 宇陀松山地区 パンフレット 宇陀松山絵図
向屋敷・上屋敷地に建物がなく 長山御屋敷が描かれている事から 江戸中期以降・天領時代の松山と思われる
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国土地理院 空中写真
A.長山長山御屋敷跡 B.上屋敷跡(天理教 宇陀分教会) C.向屋敷跡
1.道の駅 宇陀路大宇陀 2.大宇陀吉野往還 3.松山西口関門「黒門」 4.大手筋伊勢辻の道標
5.宇陀松山城 春日門跡 6.春日神社 7.宇陀松山城址 8.大宇陀万六口(町の南端)
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道の駅 宇陀路大宇陀の「町歩き 大宇陀」の掲示板
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酒蔵通り 大宇陀出新-大宇陀万六
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久保本家酒造 三輪明神・志るしの杉玉
「三輪明神・志るしの杉玉」は 日本最古の神社とされる奈良県の大神神社(三輪明神)が
全国の酒蔵や酒販店に授与する 酒造りの安全と商売繁盛のシンボルで
杉玉の下に「志るしの杉玉」「三輪明神」と焼印された木札を下げる 大神神社は酒の神様として崇敬される
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芳村酒造の杉玉 銘酒・千代の松
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和菓子舗 志を乃屋 野口昇栄堂
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芳村酒造の酒蔵
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奥にまちづくりセンター「千軒舎」 手前に「まちかどラボ」
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明治前期建築の旧内藤家住宅 まちづくりセンター 千軒舎
かつては「内藤修精堂」の屋号で薬商を営み 昭和初期からは歯科医院を開業 一般公開
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空き地
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大宇陀で一番古い明治創業の菓子舗 田中日進堂 宇陀銘菓の「丁稚ようかん」を今でも製造販売する
丁稚ようかんの由来は 商家で働く丁稚が 盆暮れの里帰りの際 土産にもたせてやれる値段の手ごろさにある
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旧松山町役場 宇陀松山会館
棟札から明治36年(1903)の建築と判明 松山町の成立は明治22年(1889)4月
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花ノ木橋から宇陀川
淀川水系宇陀川の水流は 大宇陀を北に宇陀市からは北東に流れ 室生ダムを経て
名張市で名張川に合流した後 高山ダムの月ケ瀬湖に入り 京都府南山城村で木津川に合流
八幡市で宇治川に 大阪府島本町で桂川と合流し淀川となって大阪湾に至る
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この一区画だけ神戸の雰囲気 その屋号は「レディース・ブティック舶来屋 タナカ」
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古い町家で営業を続ける店もそこそこある
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日蓮宗 長隆寺
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町中の無人野菜販売100円スタンド
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尚文堂書店 新書文庫古本・漫画古本 100円 探せば何が出るか分からないお宝の山
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創業慶応2年(1866) 奈良漬のいせ弥
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宇陀市歴史文化館 薬の館 残念ながら休館日
文化3年(1806)から代々薬問屋を営んできた細川家住宅を改修 建築は江戸時代末期とされる
宇陀は古代飛鳥時代から朝廷の薬草園が拓かれ 製薬の町として発展してきた
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農縁 cafe ピア
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奈良県橿原市今井町の街灯と同じ
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駐車場の枝垂れ桜 明日の枝垂れ桜「高見の郷」に期待が膨らむ
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春日神社参道は旧松尾城の大手筋である 突き当り右の階段上に春日門があった
松尾城阯へは春日神社参道の他 まちかどラボの裏手に歩道入口がある
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春日門跡の桜
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大手筋は西へ突当りを北(右)に曲り西口関門(黒門)へ
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奈良県立大学村田ゼミ・帝塚山大学地域まちづくり研究会・奈良フェニックス大学 大宇陀研究室
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織田松山藩 上屋敷跡 現在は天理教 宇陀分教会
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約400年前に城下町西口に構えられた門 壁以外の木部が黒く塗られていた事から「黒門」の名がある
昭和6年(1931)に国の史跡に指定
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大宇陀西山 旧吉野往還北向き
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大宇陀西山 町家レストラン 宿泊と食事「奈の音(なのね)」前から南向き
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大手筋伊勢辻の道標
北 左 いせ道 吉光尼御塚 / 西 右 大峯山上 すく い勢道
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南 左 はせ はい原 京 大坂 / 東 すく 京大坂 はせ はい原
「すく」は 直進・まっすぐの意 「はせ」は長谷(長谷寺)
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西通り
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西通り 浄土真宗 万法寺
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東本通りに戻る
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18:22 道の駅 宇陀路大宇陀 Google Map Street Viewの撮影カー

今夜は道の駅で車中泊 明日は早朝から 高見の郷へ枝垂れ桜を見に行く

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