2014.04.11 大分県大分市国分 豊後国分寺跡

天平13年(741年)聖武天皇の「国分寺建立の詔」により建立された国分寺のひとつ
調査によれば 創建当初の伽藍を中世まである程度保持していた国分寺は 全64ヶ寺のうち14寺にすぎないが
豊後国分寺はそのひとつに数えられている 鎌倉時代の仁治元年(1240)には大友氏が西大寺の僧・忍性を請来し
中興開山とした 豊後国分寺は永禄10年(1567)には豊後国一宮・柞原八幡宮の末寺となっていたことが
確認されている 遡り元弘2年(1332)及び嘉慶2年(1388)にも柞原八幡宮の神宮行事の役を勤めたことが
記録されていることから 南北朝時代頃には末寺となっていたと考えられ 国分寺の末寺化は平安時代以降
広く見られることであるが その内でも 国一宮の末寺となった例は豊後国分寺が唯一であるとされる

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江戸時代の延宝3年(1675)に天台宗の僧・円海により再興が始まり 元禄7年(1694年)に本堂が完成した
今も 創建当初の金堂の位置に薬師堂 塔の位置に観音堂が現存し 天台宗派の医王山・国分寺と号する[
発掘調査によれば 寺域は東西183m 南北300mで 中門・金堂・講堂・食堂が南北に並び
金堂の南西に七重塔が位置する大官大寺形式の伽藍を有していたと思われる
現在の観音堂の場所に塔基壇 薬師堂の場所に金堂跡が発見されている 塔は七重塔で遺構から復元すれば
基壇の1辺が18m 建物は初層の1辺が11m 高さは推定60m超と巨大な塔であることが推定される

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1.大分市歴史資料館 2.国分尼寺跡 3.食堂跡 4.講堂跡 5.回廊跡 6.金堂跡(現・薬師堂)
7.七重塔跡(現・観音堂) 8.中門跡
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史跡公園
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現・国分寺の鐘楼
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金堂跡に位置する薬師堂
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塔跡の観音堂
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