2026.04.08-09 岡山県真庭郡新庄村(しんじょうそん) がいせん桜

出雲街道 新庄宿

出雲街道は 播磨姫路青山村の追分から出雲松江城下に至る街道で 別名に出雲往来や雲州街道などがある
実際は 米子宿にて山陰道と合流するが 安来・出雲郷宿を経て松江城下に至るまでを出雲街道としている
途中の宿駅は 1.飾西(しきさい) 2.觜崎(はしさき) 3.千本 4.三日月 5.佐用 6.土居 7.勝間田
8.津山 9.坪井 10.久世(くせ) 11.勝山 12.美甘(みかも) 13.新庄 14.板井原(いたいばら)
15.根雨(ねう) 16.二部(にぶ)17.溝口 18.米子 19.安来 20.出雲郷(あだかえ)の20宿であった

新庄は因幡国に接する国境の村で 難所の四十曲峠を控える位置にあることから江戸時代初期から家が建ち始め
後に松江藩主松平家の本陣が置かれるなど 山陽と山陰を結ぶ出雲街道の重要な宿場町であった
元禄2年(1689)に47戸であったが 江戸時代末期には100戸程の町並みとなり 幕府公認の本宿として栄えた

幕末期の宿場は 問屋場・本陣・脇本陣があり 旅籠9戸 商家3戸 醸造業1戸 水車業1戸
紺屋・表具屋・髪結処・木地師・檜皮師・鍛冶屋各1戸 鉄山師4戸 馬喰2戸 専業農家47戸 兼業農家19戸
と記録されている 現在 日本で最も美しい村連合加盟自治体のひとつではあるが 豪雪地帯でもある

豊臣時代の天正12年(1584)には備前・美作を治めた宇喜多家の所領であった 関ヶ原後の慶長5年(1600)に
宇喜多氏から小早川家の支配に替わったが 2年で小早川家が無嗣断絶による改易をうけ
慶長8年(1603)に美作国を岡山藩から分離し 森家による津山藩が立藩され 新庄村も森家の支配となった
元禄10年(1697)森氏が無嗣断絶により改易されてから天領となったが 江戸中期の明和元年(1764)に
高田藩(後に勝山藩に改称)が立藩され その支配下に入り 以降明治維新まで三浦氏の支配が続いた

明治5年(1872)新庄村が成立 明治9年(1876)から岡山県の管轄となった
明治22年(1889)町村制施行により単独で真島郡新庄村となった 単独自治体のため大字は編成しなかった
明治33年(1900)真島・大庭郡が合併して真庭郡となった
平成17年(2005)平成の大合併で 勝山・久世・落合・湯原・美甘・川上・八束・中和・上房郡北房の
5町4村が対等合併し真庭市が新設されたが 新庄村は単独で存続することを選択した
岡山県内では 英田郡西粟倉村と共に村制をしく自治体の1つで 人口数では県内最小の自治体となっている

がいせん桜

明治38年(1905)12月の村会で 日露戦争での対ロシア戦勝の永き記憶と地方風致を保ち 衛生上も利するとして
桜の植樹が議決された 翌・明治39年(1906) 御幸橋より町尻までの200間(約360m)の間に
3間(約5.4m) 間隔で 合計137本の桜が植えられ「凱旋桜」と命名された 桜は100年以上の古木となり
樹木医による手当が継続的に施されている 雪解けの春に 大きく成長し咲揃う桜並木のトンネルは
新庄の春を代表する景色となった また 夏には緑 秋には紅葉 冬には雪の花となり 四季折々に風情を変えて
出雲街道新庄宿の歴史的町並みを 美しく引き立てている

通りの両側にはさらさらと流れる水路があり そのやさしい音色は 残したい日本の音風景百選にも選ばれている


2026.04.08 がいせん桜 夜桜

奈良県五條市を午後1時30分に出発 国道24号・大和高田・羽曳野・美原JCT・近畿道・中国道・米子道湯原IC
岡山県道55号線・美甘・国道181号を経て 道の駅 がいせん桜新庄宿に到着したのは午後6時前であった
本日の夕餉は 五條市の「柿の葉すし本舗たなか 五條本店」で購入したサバの柿の葉寿司とする
今夜は当道の駅で車中泊するが 夕食後暗くなってから対岸にある旧出雲街道新庄宿の凱旋桜の夜桜を見に行く
九州に比べかなり寒い 予想外の気温に手が悴む 手袋が欲しい しかし準備していない 何たる不覚!!

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19:34 ライトアップされる桜の東端 新庄村旭町
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新庄村旭町 水路珈琲 さくら通りコーヒースタンド
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120年を超えるソメイヨシノ 樹木医による手当の技術が素晴らしい
木肌に表れた凹凸の激しさから 長年続く手当の図り知れない苦労を感じる
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雲州侯本陣
寛永12年(1635)に参勤交代制がきまり、出雲街道をいつも通っていたのは、松江藩松平であった。
元禄2年(1689)の文書によると、この町並に御茶屋1軒あり、松平出羽守が通行の折には、
毎年昼休みをされたという。 佐藤家が松平指定の「御茶屋」になったのは、寛文6年(1666)であり、
その後の宝暦7年(1757)に「本陣」役の請負ができた。 この頃から松平藩主は、昼休みだけでなく
宿泊もするようになったのである。
本陣
門・玄関・書院造り・上段の間  世襲 主人は苗字帯刀
連絡と請け人
先触(1回目)50日以上前  請負 間取り図付けた請書
先触(2回目)2日程前  下宿割 宿役人が人数割  当日 定紋付幕 関札 提灯台

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新庄村本町 大黒屋旅館
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新庄村村上町 角打ちのある酒店・山田商店 石油ストーブがあって酒のつまみも豊富に販売
寒空の中熱燗酒に惹かれるが 長っ尻になりそうなので「大山ビール」だけ買った
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19:57 御幸橋南詰 がいせん桜北端の桜
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19:58 道の駅まで帰る
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20:11 とにかく寒い 今朝の最低気温は久世で0.3度C 新庄では氷点下となっているのは確か
車に戻って買ったビールを飲んで寝袋に入って早く寝ようと…思ったのに栓抜きが無い
仕方なくビールは持ち帰り 昨日 大宇陀で買った酒を呑んで寝る

2026.04.09 がいせん桜 朝の桜

6時前起床 窓を開けると周りの車は全て消えていた 車中泊は自分達だけのようであった
お茶を温め 昨日買った柿の葉寿司の残りを食べる エンジンを掛け暖房も入れて体も温める
6時半過ぎ カメラや脚立を持った人たちが車を止めて橋を渡って行く 桜の上部に陽が差し込み始めた

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6:08 新庄村旭町
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樹齢120年越のソメイヨシノ 樹木医手当の痕跡
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出雲街道
陰陽を結ぶ道
古代はヤマトとイズモを結ぶ道でした。 奈良時代は運脚の道であり、出雲国造の神賀詞奏上の道でした。
慶長9年(1604年)には、出雲街道に一里塚がつくられ、慶安元年(1646年)には、播州境いの万能乢まで
整備されて、この道を通る人々は増えていったのです。
松江藩主の参勤交代や、公儀諸役人や公家息女の輿入れの道でした。 また、東参り(伊勢参宮)
西参り(出雲大社)への旅人も通り、江戸と松江を結ぶ「七里飛脚」の通る回数も多かったのです。

出雲街道二十一次
出雲街道は、姫路より松江まで約220km、岡山県内は作東町の万能乢より新庄村の四十曲峠までが、
約90kmです。 その間は、播磨-六次・美作-八次・伯耆-四次・出雲-三次でした。

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日本の音風景百選
新庄宿の小川
出雲街道の宿場町として栄えた面影を残す町並みに、日露戦争の凱旋を記念して桜が植えられ「がいせん桜」として
知られる。 その桜並木の下には江戸時代に造られた石積みの水路が流れ、
生活用水として利用されている。 その流れが四季折々にかなでる清涼感のある音はふるさとの調べとなっている。

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新庄村中町 脇本陣 木代邸
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桜開花予想木
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7:08 御幸橋南詰 引き返す
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出勤前カメラマンが退却して人がいない桜並木
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本陣 佐藤邸
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お休み処(休憩所)の手洗い地蔵
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7:25 ライトアップされなかった南端の桜

道の駅に戻って 美甘宿の桜を見に行く 6km 10分弱の距離

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