昭和40年代の伊勢志摩・紀州

律令時代の伊勢・志摩は東海道に属し 紀伊国は南海道に属していた 大宝律令により成立した当初は
「木国(きのくに)」であったが 和銅6年(713年)の二文字制度により「紀伊国」と表記されるようになった
『古事記』による「神武天皇の東征及び大和入り」の地であるとされ 歴史は古くヤマト王権から重要視された
平安時代中期以降 阿弥陀信仰が強まり浄土宗が盛んになるにつれ 熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社
熊野那智大社)が 阿弥陀信仰の聖地として信仰を集め 法皇・上皇・皇族女院ら及び貴族の参詣が相次いだ
紀三井寺・真言宗道場の高野山金剛峯寺・道成寺や根来寺などの大寺も建立され一大信仰の地となった
江戸時代の元和5年(1619)からは 徳川御三家の紀州徳川家の統治が明治まで続いた

伊勢国は7世紀に成立し 8世紀に志摩国が分離した 三重県は この伊勢・志摩の両国のほかに紀伊の東部と
伊賀の東部を含み 経済文化圏も四日市の北勢 津と松阪の中勢 神宮のある南勢(伊勢志摩)
尾鷲の東紀州に大別される 伊勢志摩は観光名勝として呼ばれ鳥羽を含んで「伊勢・鳥羽・志摩」とも言われる


昭和42年(1967)8月3日 三重県熊野市木本町 国の名勝 鬼ヶ城
熊野灘の荒波によって生成された無数の海食洞が 地殻変動による隆起によって階段上に並ぶ奇岩奇勝の海岸線
この海蝕崖は 志摩半島から続くリアス式海岸の最南端に位置し 南へ約1.2km続いた後
なだらかな七里御浜の砂浜へと変化する 昭和10年(1935)に国の天然記念物に指定され
昭和33年(1958)には 熊野市井戸町の海岸にある獅子巌が追加指定された

現在の熊野市と南牟婁郡御浜町・紀宝町は 江戸時代まで紀伊国に属していたが 明治に三重県と和歌山県の
県境を 熊野川と定められたことから三重県の所属となった 昭和29年(1954年)に南牟婁郡八ヶ村が合併し
三重県熊野市が発足した当時は 熊野大社を有する和歌山県側の反発が強かった
この文章を書くまで自身も 熊野市は和歌山県であると思っておりネガファイルにも和歌山県と書いてあった

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昭和43年(1968 )4月 和歌山県岩出市根来 新義真言宗 一乗山 根来寺(ねごろじ)
根来寺は 平安後期の高野山学僧・覚鑁が 大治5年(1130)に山内に一堂を建て 伝法院と称したことに始まる
覚鑁に帰依し荘園を寄進するなど鳥羽上皇により手厚く保護されたが
保延6年(1140)に山内の反対勢力による焼討ちに合い 覚鑁は高野山を下り弘田荘園内の豊福寺に拠点を移した
後に円明寺をも建立して道場とし 豊福寺・円明寺を中心に塔頭院が集まり 総称としての根来寺とされた
室町末期に最盛期を迎え寺領72万石の一大宗教都市を形成し 根来衆と呼ばれる僧兵軍を擁した
戦国時代には 織田信長と友好関係を築いていたが 信長の死後は徳川家康と友好を結び小牧・長久手の戦いでは
秀吉方の岸和田城を襲撃し摂津南部へ侵攻したことで秀吉の反感を買い 後の紀州征伐を招いた
天正13年(1585)秀吉軍は根来寺に到達し すでに無抵抗であった根来寺の殆どが焼き払われた

関ヶ原の戦い後は 家康によって根来寺の塔頭智積院住職・玄宥に京の豊国社・神宮寺の土地建物が与えられ
智積院は東山の地で再興され寺号を根来寺とした 紀州の根来寺は徳川御三家の紀州徳川家の庇護のもとで
主要な伽藍が復興され 東山天皇より根来寺開山の覚鑁上人に「興教大師」の大師号が下賜され今日に至る

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秀吉の焼き討ちを免れた国宝の大塔 本尊・胎蔵大日如来 正式名は「大毘廬遮那法界体性塔」
高さ40m 幅15m 木造では日本最大の多宝塔 解体修理の際に発見された墨書により
文明12年(1480)頃から建築が始まり 天文16年(1547)頃に竣工したと考えられている
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根来寺の桜
紀の川にて

昭和43年(1968 )5月2日-3日 和歌山県那智勝浦町/新宮市 勝浦・那智大社・瀞峡
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山 那智大社

熊野三山のひとつ 那智滝を崇め奉る原始信仰が始まり 社殿の造営は他の二社より遅かったとされる
当初は滝の正面にある飛瀧神社の場所にあったとされ 仁徳天皇5年(317)に現在地へ移転されたと伝わる
祭神は熊野夫須美大神で 明治以前までは神仏習合により熊野権現と呼ばれていた

那智滝(なちのたき)
垂直に近い石英斑岩の断崖に沿って落下する 落差は133m 滝壺に落ちる幅は13m
日光の華厳滝・茨城県の袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられ 一段の滝としては落差日本1位を誇る
那智滝とは本来行場とされた那智四十八滝の総称であったが 一般に知られる一の滝を那智滝呼び一般化した

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那智滝
飛瀧神社 拝所
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那智大社から見る那智滝
那智滝
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千社札
千社札とは 木版などの方法で印刷を施した紙札で 神社仏閣などの参拝記念にその建造物に貼るものである
江戸中期以降に流行した 安永年間(1772-1781)に天愚孔平と名乗る奇人が江戸におり
文化9年(1812)の戯作者・曲亭馬琴による見聞録では 天愚孔平は若かりし頃から寺社への参詣を度々行い
記念に柱や壁に自分の名前を落書きしていたが面倒になり 半紙サイズの紙に「鳩谷天愚孔平」と木版刷りした
ものを貼るようになった この奇行を真似する者が多発し千社札のブームが発生したと記されている
寛政11年には町奉行から禁止令が発布されたが効果はなかった 現在では落書き行為とされ他人や法人の所有物に
千社札を貼る行為は器物破損 また文化財指定の神社仏閣に千社札を貼る行為は文化財保護法に抵触するとされ
新たに貼られる札は少なくなり 既存の千社札も見苦しいとされる価値観の変化から剥がされている
昭和40年代のTV旅番組で 著名な作家がフランス・パリの世界的に有名な建造物に千社札を貼る行為を
某民間TV局が嬉々として放映していたのは その時代の世界に旅する日本人の「ガラパゴス的」姿であった
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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町勝浦 勝浦海岸・紀の松島
紀の松島は勝浦湾口の周囲約17kmに点在する大小130余りの島々 また海食洞穴は180ヶ所ある

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旅館から見る勝浦海岸
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旅館裏の海岸
旅館から紀の松島
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旅館から勝浦海岸
紀の松島
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和歌山県新宮市熊野川町玉置口 瀞峡・瀞八丁
和歌山・三重・奈良の県境を流れる熊野川水系北山川上流の峡谷 大台ヶ原周辺を源とする川の滝が
その侵食作用により長い年月をかけて後退移動し 河川の両側に切り立った崖を形成した
上流から奥瀞・上瀞・下瀞と呼ばれ 特に下瀞の上流を瀞八丁と呼び 巨岩・奇岩・断崖の続く渓谷が
国の特別名勝に指定されている 昭和初期はプロペラ船が 後にウォータージェット船による航路が開設された
流域に和歌山県の新宮市と北山村の飛び地があるため 和歌山・三重・奈良の三県境が交わる個所が5ヶ所ある
北山村は 全域が飛び地となる全国唯一の村である

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瀞峡乗船場
滝と旧国道
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奈良県吉野郡十津川村神下 瀞ホテル
ウォータージェット船の終点 三県境
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和歌山県新宮市飛地・奈良県・三重県の三県境
上陸休憩
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昭和44年(1969)5月 和歌山県和歌山市加太 加太北ノ浜

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車に分乗して日帰りで加太へ 俄釣り師の奮闘 それを見る見物人の方が多い 左後方は城ヶ崎
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昭和45年(1970)8月1日-2日 三重県志摩郡大王町 大王崎と波切/阿児の松原海水浴場

大王崎灯台
RC造 塔形 白色塗装 日本の灯台50選に選定 光達距離:18.5海里(約34km) 塔高:22.5m
灯火標高:45.53m 初点灯は 昭和2年(1927)10月5日 平成25年(2013)国の登録有形文化財に指定
波切と大王崎
波切(なきり)の名は 荒波を切るように遠州灘と熊野灘との境に位置することから付けられたとされるが
奈良時代の木簡では「名錐」の地名が見られ その後「名切」や「菜切」の文字が見られる
現在の学術的な解釈によれば 大地の側面が侵食されて崩壊した地形の「ナグレ」が語源とされる
東端にある大王崎は 砂岩と泥板岩の互層で形成された約30mの断崖を持つ海蝕大地で周囲には
岩礁が散在し 古来より航海の難所として名を馳せた
平成16年(2004)10月 志摩郡の大王・浜島・志摩・阿児・磯部の5町が合併して志摩市が発足した

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大王崎灯台
波切漁港
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大王崎灯台から見た波切漁港
波切漁港
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波切漁港
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波切漁港
阿児の松原海水浴場

昭和46年(1971)12月 和歌山県高野町高野山 高野山
平安時代の弘仁7年(816)に嵯峨天皇から空海(弘法大師は諡・俗名は佐伯 真魚)がこの地を下賜され
翌年 泰範や実恵ら弟子を高野山に派遣 弘仁10年(819)の春 七里四方に結界を結び 伽藍建立に着手し
真言密教の道場として開いた聖地である 現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心として
高野山 真言宗総本山 金剛峯寺・大本山宝寿院のほかに 子院が117ヶ寺ありその約半数が宿坊を兼ねている
半世紀以上前の小学生の頃 高学年で行われる夏休み期間中の林間学校は ここ高野山か吉野であった

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昭和47年(1972)12月 和歌山県田辺市龍神村龍神 龍神温泉 下御殿

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龍神の針金橋
現在は 「湯元小橋」と言う名の吊り橋となっている
写真で見る対岸には旅館が建ち 下流に駐車場へ通じるコンクリート橋が出来ている
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