昭和46年(1976)12月4日/5日 長野県木曽郡南木曽町吾妻 妻籠宿

妻籠宿の旅籠「い古まや」に投宿 翌日は妻籠宿散策後 馬籠宿まで旧中山道を歩く 妻籠から馬籠まで
約8km(2里)2時間の距離であった 「木曽路はすべて山の中である」と小説「夜明け前」の巻頭に記したのは
馬籠宿の本陣で生をうけた文豪・島崎藤村であった 馬籠の本陣跡に隣接して藤村記念館が建てられている

江戸時代の道中奉行方によれば 木曽路とは中山道のうち 贄川宿より馬籠までの11ヶ宿を結ぶ街道で
木曽十一宿とも呼ばれた 正確さを期すれば 美濃と信濃の国境より贄川宿の北方2里の桜沢橋までの街道を指す
古くは大宝律令によって定められた東山道のうち 大宝2年(702)に美濃国岐蘇路の開削が始まり
和銅6年(713)に美濃・信濃国間の山道が開通したのが始まりとされるため 中山道を表す名でもあった

江戸時代の中山道は 温暖な太平洋岸を通る東海道が五十三次・約488kmであったことに比べて
数々の峠越えや山中の木曽路など難路も多く また江戸日本橋から京都三条大橋まで六十九次・約534kmもあり
決して楽な道程ではなかった しかし大井川の川止めや4時間もかかる桑名の渡船などがなく 入鉄砲出女の取締も
東海道に比べれば比較的緩やかであった 幕末に徳川家茂に輿入れする皇女和宮が 京から中山道を通り
この山深い街道を江戸まで下った その他 武家に嫁ぐため江戸に向かった多くの宮家や公家の姫たちも含め
  多くの女性が中山道を利用したため「姫街道」とも呼ばれるようになった

img

1.妻籠宿の高札場 2.標高790mの馬籠峠 3.馬籠宿 下入口

img
昭和45年(1970)10月11日 長野県木曽郡大桑村須原 臨済宗妙心寺派 浄戒山 定勝禅寺
imgimg
1970.10.7 上松町 寝覚めの床
1970.10.11 早朝の木曽福島駅
imgimg
1970.10.11 早朝の木曽福島駅
1970.10.11 早朝の木曽福島駅

昭和46年(1976)12月4日 夜の妻籠宿

img img
行灯とてるてる坊主
img
昭和46年(1976)12月5日 早朝の妻籠宿
imgimg
妻籠宿高札場 ここから馬籠まで歩く
旅館 新井筒屋
img img imgimg imgimg img imgimg
宿場内の石畳坂道
杉板葺き屋根
imgimg imgimg img imgimg imgimg
長野県木曽郡南木曽町吾妻 中山道 大妻籠道
imgimg
大妻籠 石畳
大妻籠 石畳
imgimg
馬籠峠 石畳
馬籠峠 一里塚
imgimg imgimg
馬籠峠からの下り道
旧中山道からの展望
 TOP