俊次郎は地域住民の豊かな生活を実現させるためには水路開鑿が必要であると考えて
15年の歳月をかけ測量を行い若宮井路の計画図を作りました 計画図作成には多くの金がかかり
俊次郎は先祖伝来の財産をすべて失い 借金までして作り上げたのです
計画図をもとに 資金調達に奔走したり 地区の人々に疎水開鑿の必要性を説いてまわったのですが
相手にしてもらえず明治24年に亡くなってしまいました
俊次郎は死ぬ間際までも若宮井路の必要性を訴えていたそうです
俊次郎の作った計画図面は現在も大切に保存されています
隣接する竹田市の稲葉川から取水され 10km以上離れた受益地「あさじ地区」は
平坦部の少ない山間地域で耕地は狭小で急峻な地形に棚田状に広がり分散して存在しています
このような地形から 水田農業経営規模は零細であり 「水稲」と「肉用牛」「椎茸」等の複合経営が
主体となっています 近年 農業経営の悪化や高齢化の進行・荒廃地の拡大・集落機能の低下など
たくさんの課題を抱えています この地域の用排水路の多くは明治末期から大正年間にかけて
造成されたもので 施設延長が長く条件の悪い場所にあるので
地区の関係者は維持管理に非常に苦労しています 若宮井路の受益地も耕作放棄地が年々増大し
今後の維持管理が非常に気掛かりです
総延長約20km 関係農家300戸 関係水田面積100ha