福岡県那珂川町 裂田の溝(さくたのうなで)
日本最古の農業用水路としても知られており 疏水百選にも選ばれている
『日本書紀』に この用水路は神功皇后が三韓征伐の際当地にある現人神社の神田を灌漑するため
造ったとの記述があり 周囲の遺跡の発掘状況から 実際に造られたのは弥生時代との説もある
山田の一ノ井堰から取水し 流域の六集落の田地を潤してきた 日本書紀には「・・・溝を掘つていると
大岩に突き当たり それ以上進めなくなつた そこで 神に祈つたところ 雷が落ち その大岩が裂けて
水を通すことができた…」と書かれており それがこの溝の名前の由来にもなつている
古の歴史書に書かれ 現在まで使われ続けている水路は世界的にも珍しく 貴重な遺跡といえる
「裂田の溝」の由来は、『日本書紀』の記載によるものですが、記載されている「大岩が立ち塞がった」のが
この場所だといわれています。教育委員会が実施した調査ではこのことに関する貴重な成果が得られました。
地質的な調査では、ここより上・下流は軟らかい地盤であるのに対し、この場所だけ硬い岩盤が東側の丘陵から
細長く張り出していることがわかりました。また発掘調査でも、裂田神社の裏手から溝の底を経て対岸まで
広がる花崗岩の硬い岩盤を確認しています。つまリ、ここまで掘リ進んできた水路を北側へ通すためには、
どうしても水路の開削を遮っている硬い岩盤を突破しなければならず、その工事がいかに大変であったかが、
日本書紀の記載に繋がったのではないかと考えられます。裂田溝は、水田への水の供給をはじめ、私たちの生活と
大変密接な関係にあったため、これまで必要に応じて何度も改修され溝幅も変化しています。
しかし、この場所は伝説とも符合するため水路の初期の形状を留める可能性が高い重要な場所といえます。