宇佐市院内町北山 広瀬井手・北山(藤ヶ谷)  水路橋

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江戸時代末まで宇佐平野・駅館川東岸の地域は雨水に頼った農耕のため 農民の生活は悲惨であった
東岸の台地は川面から20mを越え 水を引くには水口を津房川の広瀬まで遡る必要があった
宝暦元年(1751)以来 多くの人が挑んだが 難所続きのため挫折
工事を引き継いだ南一郎平は 難工事に必要な莫大な資金の工面に奔走し 心血を注ぎ
工事の先頭に立った 日田の豪商・広瀬久兵衛の援助もあり 明治6年(1873)に
122年という歳月をもって漸く完成した農民悲願の井手である その工事は資金難と
和尚山の堅い岩盤にマブを手掘りしたほか 崩落しやすい下拝田の粘土質など難工事との闘いであった
長洲に至る17kmに及ぶ完成した水路により 600町歩を水田に変えた
この難事業にたずさわり 完成させた水路技術者の南一郎平はこの手腕をかわれ
那須・安積・琵琶湖の三大疏水の事業にもたずさわることとなる
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