2025.05.27 福岡県糸島市志摩小富士 可也山(かやさん) 標高 365.0m
末広がりの 火山特有の美しい独立峰で「筑紫富士」や「糸島富士」とも呼ばれる
地中深部でマグマが徐々に冷却されて固まった花崗閃緑岩が隆起し 恐竜時代の約1億~9000万年前に形成された
その後 人類の祖先である猿人が現れた約300万年前に 岩盤を貫いて玄武岩が溶出したとされるが
爆発的噴火に伴う大規模な火口は存在せず マグマの噴出口が数か所残されているのみである
師吉側から登ると 中腹あたりから露出した花崗閃緑岩の巨石が見られる また山頂付近の平坦部には玄武岩が
多く見られ 展望台付近の赤褐色土は この玄武岩が風化したものとされる
可也山産出の花崗岩類は良質で 寺社や城郭の土木建築材料として利用された
師吉側登山道の石切場跡には 昭和30年代まで岩を切出した痕跡があり 残された巨岩が今でも見られる
中でも特に注目される記録は 江戸時代初期に造営された日光東照宮一ノ鳥居石材として
直径約1mの柱材を含む15個の切石を 福岡藩主黒田長政の命によって切り出されたことである
可也山の由来に 渡来人によって優美な山容に朝鮮半島南部にある「伽耶山」を合わせ見たとする説があり
万葉集にも 壬生使主宇太麻呂の「草枕 旅を苦しみ 恋ひ居れば 可也の山辺に さ雄鹿鳴くも」の歌がある
( 意:草を枕の旅がつらいので 恋しく家を思えば 可也の山辺で さ男鹿が妻を恋して鳴いているよ )
糸島半島東西の湾内は 大陸と往来する船の風待泊まりとして利用されたことから ひときわ目立つ独立峰の
可也山は 航海の目印として古代から重宝されていた自然景観の一つである
参考:糸島観光サイト「つなぐいとしま」 観る/可也山
https://kanko-itoshima.jp/spot/kayasan/

6.展望所 7.親山登山口・林道ルート/展望所直登ルート 8.加布田天神社 9.可也神社参道口標石


公民館催事の場合は駐車不可 その場合登山者の駐車場は約1km離れた「いとしま応援プラザ」

















可也山と石切り場
可也山は標高365m、東西約4km、南北約2kmの独立峰で、東方から望む山容は富士山に似ており、糸島富士
或いは小富士などとも呼ばれている。 万葉集巻十五に『草枕 旅を苦しみ 恋ひおれば 可也の山辺にさ雄鹿鳴くも』
と詠まれているように古くから知られた山で、その名は朝鮮半島の伽耶地方に由来するとの説もある。
山塊は大部分が花崗閃緑岩からなるが、頂上付近には火山活動で噴出した玄武岩が見られる。
特に山腹に露出する良質の花崗岩は、江戸時代初期を主体として近代に至るまで、城や寺社などの石造物の
材料として利用された。 有名なところでは、栃木県日光東照宮、江戸城紅葉山、警固神社、桜井神社などの石鳥居の
造立にこの山の花崗岩が使われている。 その中でも、元和4年(1618)に黒田長政が普請した、江戸時代の
ものとしては我が国最大の日光東照宮大鳥居の造立の際には、難儀の末、60トンを超える巨石をこの山から切り出し、
海を渡り川を上らせ、遥々日光まで運搬したという顛末が『黒田家譜』などの文献に記されている。
現在のところ、明確にその時期まで遡及できる石切り場跡は確定されていないが、
山腹の巨石に現在でも数多く残る矢穴(楔痕)が往時の様子を偲ばせる








津和崎・初・師吉・井田原・吉田・稲留・小金丸・馬場・松隈の9村合併で可也村に
御床・辺田・久家・船越・東貝塚・西貝塚の6村合併で小富士村が発足し可也山頂部を南北に分けた








昭和15年(1940)の「紀元二千六百年」を記念して建立され 大字小金丸地域で4月15日に祭典が奉じられる















加唐島(かからしま)・小川島(おがわしま)・左最奥に霞むのは的山大島(あづちおおしま)























13:20 駐車場に到着