2008.04.25 福岡県田川郡添田町大字英彦山 英彦山(ひこさん) 標高 1199.5m

古代より神体山として信仰され一説では天孫降臨の山とされる 早くから神仏習合し彦山「権現」の名を用いる
もとは彦山と呼ばれていたが 享保14年(1729)霊元法皇により「英」の字をつけたという
現在の祭神は3柱で 北・中・南の各峰に1柱の神をあてている
北岳に主祭神の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつ あかつかち はやひあめのおしほみみのみこと)を祀り
配神として 南岳に伊耶那岐命(いざなぎのみこと)を 中岳には伊耶那美命(いざなみのみこと)を祀る
12世紀頃より天台宗に属し 明治以前の神仏習合時代には 各神が法体権現・俗体権現・女体権現となり
彦山三所権現と総称された 鎌倉時代の建保元年(1213)の『彦山流記』による各権現の本地仏は
北岳の法体権現が阿弥陀如来 南岳の俗体権現は釈迦如来 中岳の女体権現は千手観音とされた
以降も修験道の山として栄えたが 明治の神仏分離により修験道が廃止され衰退していく
登山開始9:00 山頂10:55 南岳11:25 鬼杉12:30 下山15:10

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1.神宮下バス停 2.奉幣殿 3.中津宮 4.行者堂 5.中岳・上宮 6.南岳 7.鬼杉 8.大南神社 9.玉屋神社
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標高グラフ
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9:04 無料の市営別所駐車場
正面の県道を歩き参道へ近道
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9:15 参道
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ミツマタの花 木は和紙の原料となる
ディウ<Dieu>はフランス語で「神」のこと
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泰幣殿の大鈴
分岐 右は帰路となる道である
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御神木の夫婦杉
9:29 石段を登って登山開始
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急勾配の石段
石段が終わると中津宮
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千本杉と呼ばれた尾根道は倒木が多く明るい
10:34 行者堂(産霊神社)のある広場
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上宮の鳥居
上宮への石段 上に神殿が見える
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10:55 英彦山々頂 標高 1200m
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山頂広場
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豊前坊・北岳から登ってきた中学生たちで 山頂は一挙に賑やかに
英彦山は 北九州や筑豊の学校にとって大切な校外授業の場でもある
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上宮拝殿
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英彦山の三角点がある南岳へ向かう
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一等三角点 標高 1199.62m 点名:英彦山
11:23 南岳頂上の南岳神社 祭神:伊耶那岐命
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南岳から見る上宮
南岳の鎖場を下りる
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かつて千本杉と呼ばれ 樹齢数百年の「杉の大木」が並んでいた尾根
平成3年(1991)9月27日に北部九州を襲った台風19号で 英彦山の北西中腹から山頂にかけて
樹齢300年以上の通称千本杉が暴風によって倒され甚大な被害を受けた
以後ブナを含めた自然林の衰退が激しくなっている
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鎖場もある急斜面を降りる 道は荒れている
材木石 柱状節理岩
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ヤブツバキ
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12:30 鬼杉
福岡県最大の大杉 周囲12.4m 上半分が倒れた状態での樹高は38mあり 推定樹齢は1200年となっている
時間は 奈良時代から平安時代の初頭に遡る
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鬼杉から大南神社まで往復
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14:40 奉幣殿に戻る
13:44 玉屋神社 般若窟
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玉屋神社から見た新緑 奉幣殿を経て駐車場に戻る
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英彦山の参道と銅の鳥居(かねのとりい)
英彦山は山岳信仰による修験道という宗教で栄えた山です。この大参道は、英彦山権現を祭った霊仙寺の
講堂(現在の英彦山神宮奉幣殿)に至るまでの表参道です。別名を大門通りと呼びます。
道幅も広く、距離約1kmにわたるこの参道は、貞享年頃(1684)完成したものです。
入り口に、寛永14年(1637)、肥前の国主鍋島勝茂によって奉納された銅の鳥居を立て、
これより内は、神仏の住み給う浄土という意味の標識としました。鳥居の額は、享保19年(1734)、
霊元法皇が奉納されたものです。鳥居下の広場を「勢溜まり」といい、藩主などは馬や籠から降り、
一般参拝者もここで旅の塵を払い、清らかな心で入山しなければならない定めとなっていました。
大参道の両側に沿って、山伏の住家が階段状に整然と築かれています。
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